私こそ変なことに巻き込んじゃってごめんね、と淡々としたトーンで続けられて拍子抜けした瞬間、
『窪田くんは、正しい人だよね』
黒川は手に持っていた文庫本を見下ろして言った。
『物語に出てくるヒーローみたい』
ヒーロー、という言葉に、身体の内側がくすぐったくなる。
『ありがとう』
そう答えると、黒川が弾かれたように顔を上げた。一瞬、驚いたような表情を浮かべると、再び顔を伏せ、ふ、と頰をほころばせる。
その初めて見る黒川の柔らかな表情に、心拍数が上がり始めた。何だこれ、と自分でも驚いて胸を押さえる。
黒川が『そろそろ教室に』と先に歩き始めた。
『ああ』と答えて続いた途端、黒川の華奢な肩が目に飛び込んできて、何だこれ、ともう一度思ったときにはもう先ほどまでの気持ちには戻れなくなっていた。
「ユキ」
黒川が、岩場の先端でいじけるようにしゃがみ込んでいる娘に声をかけた。娘は動かず、サンダルのマジックテープを剝がしたりつけたりしている。
――話しかけるなら、今なんじゃないか。
窪田は一歩足を踏み出した。別に特別な話なんかしなくてもいい。普通の元クラスメイトとして近況を尋ねるだけ。
足元で砂利が鳴り、ふと、黒川がこちらを振り返る。窪田はまたしても反射的に顔を背けそうになったものの、寸前で堪えた。たった今気づいたふりをして片手を挙げかけたところで、爆発するような泣き声が後方で上がる。
ハッとして声の方を見ると、誰かの子どもが転んだらしく、顔を真っ赤にして泣いている。泣きながら膝を押さえている姿に、頭は打っていないようだと安堵した瞬間、耳が砂利の鳴る小さな音を拾った。
何気なく顔を前に戻した窪田の目に、黒川が娘の方へ手を伸ばしている姿が映る。
え、と思ったときには、娘の身体は宙に浮いていた。
娘の腕が岩場の向こう側の空気を搔き、弾けるような水音が上がる。
