生き方への揺るぎない誇り
大航海時代にこんな小さな国からよくぞ沢山の船や冒険家が地球の西や東へ向けて旅立ったものだと感心してしまうが、そんな歴史的な過去の栄誉も今では人々の意識や街の佇まいの奥底に、ひっそり仕舞われているだけである。真っ青な空の下、海風を受けながら通りを歩く人々も、道端にかがんで靴磨きをしている人も、キオスクで新聞を売っている人も、白い石畳をこつこつと修復している職人も、その表情には不平不満を溜め込んだようなくすみも淀みもない。不必要に微笑んだりもしなければ、大袈裟に人生を謳歌して生きる喜びや楽しさを表現することもないけれど、彼らのそんな佇まいには、自分たちの生き方への揺るぎない誇りが感じられる。
かつて自分の仕事部屋の書斎の棚を依頼した、ご近所に工房を構える年老いた木工職人は、遠く離れた町まで行って仕込んできた桜の木材で、何世紀も使えそうなくらい立派な棚をこしらえ、納品の際に恥ずかしそうな口調で「わたしもあなた方日本の人と同じく、時を経れば経る程味わいの出る桜という木材が大好きなんです。故郷が恋しくならないように、この木材にしました」と微笑んで去っていった。無闇にひけらかされることの無い知性と感性は人をハンサムにする。
我々人間が時代の流れとともに何を手放し、何を見失ってきたのか。そんなことを優しく気付かせてくれるこの国で、いつかまたゆっくりと暮らしてみたい。
ヤマザキマリ
漫画家・文筆家・画家。1984年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。2010年『テルマエ・ロマエ』でマンガ大賞2010受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。著書に『ヴィオラ母さん』など。現在、『続テルマエ・ロマエ』を集英社「少年ジャンプ+」で連載中。2026年4月からVTuberとして古代ローマ人ミネルヴァが古代ローマや現代イタリアについて語る「テルマエ・ミネルヴァ」の配信を開始。
CREA Traveller 2026年夏号
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