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19世紀末~20世紀初頭、ファッションの世界で起こった変動のドラマティックさに以前から惹かれ続けている。
19世紀末、ヨーロッパにおける女性のモードは、恐竜的な複雑化の極点、あるいは袋小路に達していた。42センチまでウエストを締め上げたコルセットの上に、ドレスの構造となるボーンが縦横の骨組みを形づくり、理想的とされたS字を描く「はりぼて」の表面は、繊細な生地やレースからなる夥しい装飾の津波に覆われた。身体は服とその構造を支える支柱でしかなく、覆い隠し、形を改変すべき存在とみなされていたのだ。
しかし生物界の摂理が奇形的な進化の果てに絶滅を用意するように、旧時代を破壊するクチュリエたちが現れる。それがポール・ポワレであり、マドレーヌ・ヴィオネであり、ガブリエル・シャネルであった。彼ら/彼女らが「はりぼての支柱」と化していた身体を取り戻す契機として一役買ったのが、非西欧から持ち込まれた日本の着物を含む「民族衣装」だった。
当初は誰も「身体性」から民族衣装に着目したわけではない。彼らの古典である古代ギリシャや、『千夜一夜物語』の翻訳がかき立てた東方への憧れ、開国したばかりの日本への関心から発展したジャポニスム、ディアギレフ率いるバレエ・リュスが振りまいたエキゾチスムなど、遠い時代・遠い国々への憧憬と好奇心から、民族衣装を自身の創作に採り入れていった。
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2014.07.26(土)
文=橋本麻里