前回に引き続き、台北 國立故宮博物院展をご紹介する「この美術展を見逃すな!」、今回はこの展覧会の中でも「中国士大夫の精神」のパートに注目したい。
このパートで取り上げる宋~元時代は、芸術や文化が花開き、後世の規範となるような理念が形づくられた、中国美術史上の画期だ。宋と言えば、歴史学者・與那覇潤氏がその著書『中国化する日本』で、「『中国独自の近代化』が始まる時代」と位置づけた時代でもある。すなわち経済の自由化と政治の集権化が同時進行し、その全権力を皇帝が掌握する。そして皇帝の下には身分を問わない科挙によって登用された官僚が仕え、階層に流動性が生まれて貴族制が崩壊する。また農民まで貨幣使用を行き渡らせ、市場での自由競争を促進。競争原理を導入して、結果の平等を犠牲にしても成長を追求する社会を実現した──、と。
とはいえ文治を重んじた宋の領土は小さく、常に遼や西夏など外敵の脅威に晒されていた。北宋(960~1127年)時代は開封(河南省)を都とし、女真族の金の侵攻を受けて南遷して以降は、臨安(浙江省)を首都に南宋(1127~1279年)を再興した。しかしそれも束の間、モンゴル高原に発し、疾風の如く半世紀ほどでユーラシア全域を支配する世界帝国となった、元に滅ぼされることになる。
だが宋の皇帝とその直属の科挙官僚=士大夫たちは、学問を通じて身につけた膨大な知識と教養を共通の基盤として、政治だけでなく、哲学、文学、芸術の分野でも活躍。自然の景物を真摯に見つめる眼差しや、世俗を超越した雅趣、荘厳さや典雅さ、精緻極まりない技術を追求する新しい芸術の潮流を生み、後世の規範となった。そしてその流れは元へも引き継がれていくのである。
(展示期間:6月24日(火)~8月3日(日)/東京のみ) 台北 國立故宮博物院蔵
(九州のみ) 台北 國立故宮博物院蔵
何はともあれ、まずは「書画」である。
書と画が芸術としての地位を確立するのは、書に王羲之、画に顧愷之が出現する東晋(317~420年)の頃まで遡る。いずれも専門職がいたわけではなく、貴族の余技、たしなみとして発展していった。唐時代(618~690年、705~907年)に入ると絵画の領域は宮廷直属の技術に優れた専門画家と、文人(=政治家)画家とに分化。書も盛唐期以降には個性的な文人の書き手が目立ってくる。そして宋(北宋)時代に入ると色彩を放棄し、観る者の眼前にたちはだかるように聳える大画面の水墨山水画が、続く南宋時代は余白を重視した繊細な色づかいの花鳥画が、いずれも皇帝の庇護する画院を中心に描かれた。
一方、北宋末期から蘇軾や米芾ら、書と画の双方に熟達した文人たちの試みてきた、書画一体となった表現が、元代に至って舞台の前面へと踊り出る。画院画家たちによる再現性や写実性に重きを置いた描写から、技術的な錬度では劣るものの、内面の独創的な表現に優れた文人のアマチュアリズムをこそよしとする価値観は、中国美術史を貫く太い柱となっていく。
2014.06.28(土)
文=橋本麻里