父は渡辺謙…杏の“バイタリティに満ちた半生”
食べたものはすべてエネルギーに変えているのではないか。そう思わせるほど、杏にはいつもバイタリティに満ちた印象を受ける。小学生の頃から活発で、ダンスを習うとともに、リトルリーグで男子に交じって野球に熱中していたという。父や兄ともよく公園でキャッチボールをしたらしい。いまさら言うまでもなく、父は俳優の大先輩である渡辺謙であり、兄の渡辺大も同じ道に進んだ。

芸能界にデビューしてからも、杏は「毎日、ニュースがある生活」をモットーに、オフの日もじっとしていられず、友達と登山に出かけたり、ホームパーティを開いて料理をつくったりしていた。一方では読書家で、歴史好きだったりと、文化系の一面もあるが、仕事で地方に行くたび史跡を訪ねたりと、やはり行動せずにはいられない性分のようだ。
父のことを隠してオーディションに臨み、2001年にモデルデビュー
そもそも彼女が芸能界に入るきっかけは、小学6年生ぐらいから俳優になりたいと思い、中学入学後に芸能事務所のオーディションを受けたことだ。本名の渡辺杏でデビューした直後のインタビューでは、《親の力を借りるのはイヤだったので、父のことは隠して、オーディションも、東京ではなく名古屋で受けたんです。親の名前は関係なく、一人の渡辺杏として見てほしいと思いました。受かってから『私は渡辺謙の娘です』と、言ったんですけど。きっと事務所の人も驚いたと思います》と明かしている(『女性自身』2002年8月20・27日号)。
合格後2年間のレッスンを経て、2001年、15歳でモデルとしてデビューした。モデルからキャリアをスタートさせたのは、中学を卒業するまでに背が10センチ以上も伸びたため、事務所に勧められたからだという。

デビュー当初は雑誌のモデルをメインに仕事をしていたが、19歳のとき、やはり勧められて海外のファッションショーに出演するようになった。それから数年ほどはコレクションの開催されるシーズンごとに、ニューヨークやパリ、イタリアのミラノでしばらく暮らしている。
海外での行動は基本的に一人で、オーディションや仕事の現場には住所だけ伝えられ、あとは地図を片手に(まだスマホなどなかった時代だ)自力でたどり着かねばならなかった。ニューヨークではオーディションを一日に15ヵ所以上回ったこともある。一日中街を歩き続けるうち、カバンが当たる腰の部分の皮が削れていったという。2000年代半ばのこの時期は、ちょうど父の渡辺謙もハリウッド映画にあいついで出演し、海外でも活動を始めた頃で、父娘そろって孤軍奮闘していたことになる。

2025.04.17(木)
文=近藤正高