細野さんと大滝さんも遊びに来た写真店

 そして、石段を三百段近く登ったところで母の実家「斎藤写真店」に到着。ここは松本さんの曾祖父・斎藤福太郎さんが明治30年に創業した写真店。松本さんを可愛がってくれた祖父・嘉平さんは二代目。現在は松本さんの母の弟・正雄さんの一家が暖簾を守っている。

「おばちゃん、きたよ」と松本さんが声をかけると、叔母の昌子さん(正雄さんの妻)が顔を出した。「隆さん、元気そうね」「おばちゃんも」「生きているのはわたしだけになっちゃったわ」と昌子さん。

父が母を見初めた冬の榛名湖にて

 2日目は伊香保の温泉街から車で20分ほど登ったところにある榛名湖へ。

「父が東京の大学に通っていたころ、戦時中だったから学徒動員で召集され、零戦乗りに志願したらしいんだ。でも、飛行訓練で失敗し負傷して、そのまま終戦を迎えることになった。戦後、父は公務員になり、前橋税務署勤めとなって群馬に戻ってくる。

 そんなある日、国鉄がつくった伊香保の宣伝ポスターにモデルとして出ていた母に父がひと目ぼれ。冬の榛名湖でワカサギ釣りをしている写真だったんだ。母はね、伊香保のお祭りで神輿を担ぐほど気っ風がよく、器量もいい。『伊香保小町』なんて呼ばれていて。まじめな父は自分から声をかけられず、兄の知り合いを通じて紹介してもらったらしい。

 ほどなく父は東京の大蔵省へ異動。すると母は父を追って独身寮に押しかけた(笑)。そして結婚。ぼくが生まれる。だからもし、父が飛行訓練に成功していたら、ぼくはいまここにいないんだよ」

松本隆(まつもと・たかし)
1970年にロックバンド「はっぴいえんど」のドラマー兼作詞家としてデビュー。解散後は専業作詞家に。手がけた作品は2,100曲以上にもおよぶ。

写真:平松市聖

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2025.04.16(水)
文=辛島いづみ