この選択は合理的だろうか? そもそも、アレントを船に乗せない方法だってあったはずだ。そうすればサミーは堂々と失態を演じられるし、単独行動の時間も増える。部屋にこもりたい場合は仮病でも使えば充分だろう。「悪臭漂う穴倉」で三週間も囚人を演じる必要性は、本来はまったくなかったはずだ。
客観的に見れば、アレントの存在は邪魔でしかない。サミーの行動を制限し、サミーの計画に気づきかねない唯一の男。兄妹の人生をかけた復讐劇は、アレント・ヘイズという闖入者によって破綻しかねない状況であった。
それでも名探偵は、相棒とともにいることを選んだ。
ここにもサミーとアレントのいびつな絆が垣間見える。冷酷な悪魔も、友情だけは手放すことができなかった。その非合理とも取れる選択によって、いっそう事件が複雑になった。アレントも裏切りを受けてなお、サミーと手を取り直す道を選ぶ。そういえば投獄の真意を語る前、サミーはまず「そうしたかったからだ」と答える。三週間の穴倉は裏切りに対するサミーなりの贖罪だったのかもしれない。あるいはアレントに謎を解いてもらい、自らを糾弾してほしかったのか……。根底に流れる“情”の構図は、数学的に組み上げられた一作目との対比としても興味深い。スチュアート・タートンは理性と情念、両面を描ける作家なのだ。それもとびきり入り組んだ、ややこしい理性と情念を。
本作はイギリス書店協会主催のブックス・アー・マイ・バッグ読者賞に輝いたほか、イアン・フレミング・スチール・ダガー賞、ゴールド・クラウン賞にノミネートされ、複数のブックス・オブ・ザ・イヤーにも選出された。客観的にもタートンは実力を証明してみせたといえる。
三作目も邦訳が決定していて、タイトルは『世界の終わりの最後の殺人』(文藝春秋近刊)。謎の霧によって世界が滅亡した近未来、人類唯一の安全地帯である〈孤島〉で殺人が起きるが、島民たちはセキュリティシステムによって前夜の記憶を消されており……という筋書きらしい。メフィスト系を彷彿とさせる、なんとも日本の読者好みの設定! 次なる悪魔に魅入られる日が、待ち遠しくてたまらない。


名探偵と海の悪魔(文春文庫 タ 18-2)
定価 1,760円(税込)
文藝春秋
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2025.04.03(木)
文=青崎有吾(作家)