アレントには弱点もある。かつて単独で事件に挑み、失敗した経験があるのだ。そのトラウマが常にちらつき、自分とサミーを比べてしまう。サミーならどうするか。サミーさえここにいれば。なぜおれはサミーみたいにできないのか……。信頼、崇拝、憧憬、嫉妬、アレントが相棒へ向ける感情は複雑で、「持たざる者」の悲哀が彼の造形に深みを与えている。この物語はそんなワトソン役の成長譚でもある。サラの協力を得ながら不器用に捜査を進めるアレントの姿が、ページをめくる追い風となる。
最終章において、アレントとサラはついに事件を解決する。
そして彼らは知ることになる。大抵の事件において、「真実」は手ひどい裏切りを伴うということを。
※以下、真相にふれます
最終章を読み終えた読者は、悪魔的作家のしたたかさに唸ることとなるだろう。なんという大胆な構図とミスディレクションの手数。解決編で初めて明かされる情報もあり、理詰めによる看破は困難だが、読み返せば随所でヒントを拾うことができる(四十一章クレーシェ視点の描写、四十四章リアの台詞「ピップスの物語のなかにいるみたい」、四十七章嵐の中でレーワルデン号の無事を確認したがる船長、等々)。
『イヴリン嬢~』と同じく複雑さに酔いしれるのも一興だが、帆船が一本の竜骨から成るように、この物語にも一本の軸がある。ここでは引き続き、サミーとアレントに注目したい。
「なぜあの牢屋に入ったんだ?」とアレントに問われたサミーは、「この件の調査が僕に依頼されたらまずいから」と答える。しかし謎を解けるのは彼だけなのだから、依頼されても失態を演じればよかったはずだ。すると補足が入る。「なんとなれば、きみがたちどころにして我が手落ちを看破してしまうであろうこと必定だったがゆえに」。サミーが捜査にモタつけばアレントに気づかれる、だから捜査できない口実として牢屋に入った、というのである。アレントを騙すために。
2025.04.03(木)
文=青崎有吾(作家)