学生時代、師と呼べる人に出会うことができなかった私は、やなせ氏のもとで仕事をするようになってはじめて、心から「先生」と呼べる人をもつことになりました。本稿でも、以下、やなせ氏のことを「やなせ先生」と記させていただきます。

 本書に出てくる夫人の暢さんの言葉通り、やなせ先生は本当におだやかな方で、怒ったり声を荒らげたりするところを一度も見たことがありません。ああしろこうしろと指図することなく、いつも淡々と自分の仕事をされていましたが、誰かがピンチにおちいると、必ず助けてくださいました。

 こんなことがありました。私が会社を辞めてフリーランスになったとき、アパートの大家さんから、賃貸契約を打ち切ると言われました。定職のない独身女性に部屋は貸せないというのです。

 それを知ったやなせ先生は、ご自分の住まいと仕事場のあるマンションの一室を貸してもらえるよう、その部屋のオーナーの方に頼んでくださいました。10坪ほどのワンルームで、それまでやなせ先生が書庫として借りていたところです。私のために本を引き上げて部屋を空けてくださったこと、ご自分でトイレの掃除までして引き渡してくださったことを、だいぶたってから知りました。

 30歳になるころ、ある出版社から絵本の編集をしないかという話がきました。ずっとやりたかった仕事でしたが、人脈のない私が頼れるのはやなせ先生だけ。おそるおそる頼みにいくと「いいですよ」と快諾してくださいました。

 できあがったのは「いねむりおじさんとボクくん」というかわいらしいコンビが主人公の『アップクプ島のぼうけん』。好評で売り上げもよく、第2 弾の『とぶえほん』も刊行されましたが、しばらくしてその出版社はつぶれてしまいました。2 冊の絵本は絶版となり、せっかくのキャラクターも活躍の場を失いました。

 できたばかりの小さな出版社でした。いま思えば、この世界で長く仕事をしてきたやなせ先生は、心のどこかで、そういうことになるかもしれないと思っておられたのではないかと思います。それでも、独立したばかりのかつてのスタッフに仕事の場を与えるために引き受けてくださったのでしょう。

 アンパンマンのテレビアニメが始まった翌年のことで、多忙なことは当時からわかっていましたが、この伝記のために調べていて、暢さんが闘病中の大変な時期だったことを知りました。

 作家にとって絶版ほどつらくて嫌なことはありません。でも先生は、そのときから亡くなられるまで、この絵本のことも、つぶれた出版社のことも、ただの一度も口にされませんでした。それがどんなにありがたかったかわかりません。

 先生は困っている人がいれば誰にでもさりげなく手を差しのべる方で、私が特別に目をかけてもらっていたとか、親しかったとかいうわけではありません。ごく自然に、けれどはっきりと公私を分け、仕事の関係者とは信頼にもとづくあっさりした関係を保っていました。相手の年齢や地位によって態度を変えず、有名になってからも、取り巻きのような人をまわりに置くことはありませんでした。

 忘れられないのは、先生の「天才であるより、いい人であるほうがずっといい」という言葉です。

 誰もが認めるすばらしい作品を世に出すことよりも、身近な人に親身に接し、地道に仕事をして、与えられた命を誠実に生き切ることのほうが大切だ――それが先生の考えであり、生き方でした。

後編に続く

なぜ、やなせたかしさんについて書こうと思ったのか? 評伝の名手・梯久美子さんが綴るその理由(後編)〉へ続く

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2025.03.18(火)
文=梯 久美子