
まず冒頭の「牡丹菊喧嘩助六(はなとはなきそうすけろく)」はその「型」をめぐる江戸歌舞伎の二大スター七代目市川團十郎と三代目尾上菊五郎の競演だ。助六といえば代々團十郎のお家芸。そのお家芸に江戸イチ色男菊五郎がいきなり喧嘩を吹っ掛けたもんだから江戸の芝居好きも大騒ぎ、というお話。実際に同じ時期に團十郎と菊五郎が助六を演じたという記録があるらしく、そこからこの二人の間にどんな「競演」があったのか、と作者の想像が歴史を埋めていく。
時代小説というのは史実という点と点の間が想像でつながれ、それがどんどん広がっていくところに楽しみがあるのだな、としみじみ思う。この喧嘩の意外な結末は読んでのお楽しみということで詳しくは書かないが、「型を知る」事、そしてそのうえで「型を破る」事の大切さを思い知らされるだろう。
そして二章目からは、このライバル二人と、天才戯作者鶴屋南北の三人が江戸の歌舞伎をどんなふうに彩り、盛り上げていったのかがテンポよく次々と描かれていく。このテンポの良さに作者米原信が楽しんでこの小説を書いている姿がうかがえる。
今では高尚な趣味のような歌舞伎観劇が、今よりずっと庶民にも馴染み深かった様子や、歌舞伎小屋の座元、金主と作者や役者の契約関係などもよくわかる。また「東海道四谷怪談」と「仮名手本忠臣蔵」の二つが同時上演されていたなんて明日ドヤ顔で誰かに教えたくなるネタも山盛りだ。
なんてつらつらつらつら書いてきやしたけど、そんなことはこの読物の魅力のほんの一部分にしか過ぎないんですよ。この『かぶきもん』の良さは、とにかく登場人物たちの活きのよさ、これに尽きる。元建具屋の息子から江戸イチの色男役者に上り詰めた三代目菊五郎も、江戸随市川團十郎も、天才戯作者鶴屋南北も、みんながすぐそばで侃々諤々、てやんでぇ、べらぼうめ、とやり合ってる気がしてくる。気がするだけじゃなく、眼にも浮かんでくるのだ。
2025.03.15(土)
文=久田かおり