2・坂崎、フォークソング同好会を創設
——坂崎さんは、都立墨田川高校の出身。どんな高校生活でしたか?
坂崎 明学とは真逆の雰囲気の進学校。「勉強しない子はうちの学校に来ないで」という感じ。なのに、僕は高校の入学式にギターを持って行ったらしいね。自分では覚えてないんだけどさ。
桜井 それは、イケナイねえ。
高見沢 すごいなあ。
坂崎 で、「山谷ブルース」(岡林信康)を歌っていたらしい。今でも言われるけど、本当に覚えてない。高校1、2年の記憶がほとんどないんだよね。でも、同級生や先生が僕のことを覚えていて色々教えてくれる(笑)。それで記憶がちょっとずつ蘇ってくる。
たとえば、授業中もギターを持ち込んでいたから、当時30代だった担任の数学教師に言われたんだよ。「あなた、学校に何をしに来てるの?」って。
高見沢 女性の先生?
坂崎 そう。言われて初めて気がついたんだ。学校にギターを持っていったらいけないって(笑)。それで、堂々と弾くためにフォークソング同好会を作った。
高見沢 理由があれば持っていける、というわけか。
坂崎 そう。高校2年のときにフォークソング同好会を作って、3年生になってからは1つ下の学年に任せた。俺はギターを持っていきたいだけで、同好会で何かをしたいわけじゃないから。でも、その同好会はいまだに続いている。
桜井 坂崎が初代会長。
坂崎 そう。銅像が建ってもいい(笑)。
高見沢 坂崎の母校は進学校だからな。
坂崎 学生運動はぜんぜんなかった。ツッパリは数人いたけどね。
桜井 うちのクラスには学生運動やってるヤツがいたな。授業をよく欠席してたよ。
高見沢 ほーっ。
坂崎 僕は高校2年までは落ちこぼれていた。「そろそろ受験勉強しないと本当にまずいぞ」と思い始めたのが、高校3年になってから。
だから、3年生のときに山野楽器で開かれていたフォークソング・コンテストに一人で出たのは、“最後のけじめ”のつもりだったんだ。そこで、桜井と出会った。
2024.10.30(水)
文=桜井 賢、坂崎幸之助、高見沢俊彦