では、日銀のメッセージがうまく伝わるかどうかを左右する要因は何だろう。この問いについて考えるうちにたどりついたのが、レトリックの世界だ。
レトリックとは、いわば説得の技法だ。有効に用いれば主張の説得力を高め、自らが紡ぐ物語(ナラティブ)を人々に受け入れてもらうことができる。政治家にとってレトリックを使いこなすことは必須の資質だが、金融政策におけるコミュニケーションの重要性を考えると、中央銀行の政策当局者にとってもきわめて大切なスキルだ。
また、レトリックは単なる修辞学ではなく、言説に潜む権力構造や社会関係も表す。使い方次第で、都合の良い情報をハイライトし、そうではない情報を隠すことができる。つまり逆に言えば、レトリックを分析することにより、日銀がどのようなナラティブを構築し、自らの政策をどう正当化しようとしているかがわかるのだ。
歴代の日銀総裁はどのようなレトリックを用いて、自らの政策の有効性を高めようとしてきたのだろうか。そして、金融政策の変遷に応じ、日銀のレトリックはどう変化したのだろうか。こうした点を明らかにすることにより、植田総裁のレトリックから将来の金融政策の行方についてヒントを得ることもできるだろう。本書は、ジャーナリストの現場経験を生かしつつ、レトリック分析の視点から日銀の金融政策を考察する試みだ。
筆者は、外国プレスの記者として長年、日銀の金融政策について取材し、英語で海外に伝えてきた。その経験から感じたのは、日銀は総じて国民とのコミュニケーションが苦手だということだ。金融政策は専門的なので、中央銀行の発信は曖昧かつわかりづらいものになりがちだ。だが、日銀の場合、そのわかりにくさは突出して高いように思われる。日銀の発信を英語で記事にする際、幾度も感じたことだ。この特性もまた、レトリックで説明できる部分が多い。
今や海外投資家は、日本の株式市場や円相場の動きを左右する巨大なプレーヤーだ。彼らに有効にメッセージを伝えるうえでも、日銀がどのようなレトリックを用いるかはますます重要になっていくだろう。本書では、海外投資家と頻繁にやりとりする中で感じた日銀レトリックの特徴や、取材上の体験談も紹介する。世の中になじみの薄い金融政策、そしてそれを報じる外国プレスの存在を少しでも身近に感じてもらえれば幸いだ。
「はじめに なぜ日銀のメッセージはうまく伝わらないのか?」より
日銀総裁のレトリック(文春新書 1470)
定価 1,100円(税込)
文藝春秋
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2024.10.09(水)