木下作品には山田風太郎のような伝奇小説的な空気感と、昔の日活映画のような濃厚なエロティシズムが漂い、陰惨な場面も容赦なく描写されます。それと同時に、独特の「乾いた味わい」も存在する。これは、メタ視点で歴史を俯瞰しているからでもあり、木下さんの気質でもあると思いますね。

 そもそも、本作は「呪い」がテーマでありながら、当の武蔵は呪いなど信じていないのです。本当に恐いものは、別のところにある。木下さんは、インタビューで、本作を執筆するきっかけについてこう語っています。皆、巌流島での武蔵は知っているけれど、そのあとの武蔵を知らない。実は、60回以上の決闘にすべて勝利した武蔵は、非常に現代的な、当時の風潮に抗うような考えを持つようになったというのです。当時は殉死の風潮があったのですが、武蔵は「死を肯定するのは間違っている」というようなことを言っていた。60回も決闘した武蔵が、なぜこんな現代的な人間に変わったのだろうか。そこに何かがあるように感じたことが、『孤剣の涯て』執筆の出発点だった、と。

 呪いの謎を解く、血沸き肉躍る活劇で読者を魅了しつつ、「滅ぶことが決まっているのに、人は何かを生み出さずにはいられない」という人間のさがや、無常の定めに抗おうとする者たちの姿を、木下さんは静かに見つめ続けています。

 読んでいて、思わず背筋がゾクッとしたのが、合戦の最中の「味方崩れ」の場面です。前線で戦い、狂乱の様相で撤退してくる味方を、弓矢で射殺する非情な行為が繰り広げられますが、こうした戦場のリアリズム――史実を丹念に調べ上げる骨太さと、伝奇小説的なファンタジーの色彩が両立している、これこそが木下作品の真骨頂だと思いました。

 本作のテーマにも、現代に通ずるリアリズムが込められています。戦国武将が華々しく活躍する時代が終わり、剣よりも鉄砲が力を持ち、徳川を頂点とする武家支配の構図が確立された。その流れについていけない武蔵の葛藤や、禁じられたおんなかぶきの無念は、現代を生きる私たちにも常に突きつけられるものではないでしょうか。

 今、織田信長や坂本龍馬は、昔ほど人気が無いように感じています。楽天的に未来を信じられず、サクセスストーリーに読者が鼻白んでしまう時代には、木下さんの描く、線香花火のような、脆弱な存在だけれども、刹那の鮮烈な閃光を放って消えてゆくような登場人物たちこそ、共感を呼ぶのではないかと思っています。

孤剣の涯て(文春文庫 き 44-5)

定価 990円(税込)
文藝春秋
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2024.09.18(水)
文=市川 淳一(書店員・丸善ラゾーナ川崎店)