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絵は物語を忠実に再現することを大切に

――寺村先生と一緒に作った「わかったさん」と、一人で書き上げた「わかったさん」、違いはありましたか?

永井 絵描きとしては、まったく変わらないですね。原稿を言葉通りに再現することを大切にしています。絵を描く方がメンタル的にはしんどいかもしれません。

 文章は50歳近くになってから本格的に始めたので、技術的にはまだまだひよっこ。編集者に助けていただくことが多々あります。でもやっぱりお話を考えるのはすごく楽しいですよ。

 文章と挿絵の配分をどうするかは、私の場合は寺村先生から「あなたプロでしょ。自分でやりなさい」と言われたので、ずっと自分でやっています。「ここは絵が大きい方がいい」と思ったら原稿は2行ぐらいに割り付けして。そういう作業が、絵を上手に描くことより肝心だと学びました。

 後から、「作と絵が別の人の作品では、原稿の割り付けは編集者がするのが一般的だ」と知ったのですが、寺村先生なりのご指導だったんでしょう。「全部任せる」なんて言われたら、「自分にとって最高のものを作らなきゃ!」って頑張りますもんね。

寺村輝夫との出会いで宇宙規模に変わった人生

――今でも励みにしている寺村先生からの言葉はありますか?

永井 ちょっと自慢話になりますけど(笑)、寺村先生に、「僕はあなたと出会ってから、年を重ねるごとに1歳ずつ若返っていくみたい。地球規模で僕の作家人生が変わったよ」と言われたことがあります。ですので私は、「寺村先生と出会ったことで、宇宙規模で人生が変わりました」とお答えしました。

――ロマンチックですね。

永井 先生はロマンチストですよ。『わかったさんのクレープ』では、シンデレラのように馬車に乗るわかったさんを描いたのですが、その絵を見た先生は、歌うように「ロマンチックゥ~!」ととても喜んでいました。そういうキュートな部分がある方でしたね。

 寺村先生とは十数年お仕事をご一緒しましたけど、打合せでは毎回緊張しました。偉大な方でしたから。終わったら緊張のあまり頭痛がするくらいでしたね。「これで駄目だったら、次はお仕事をいただけないかも」という不安があって、常に「これが最後かも」という気持ちで挑み続けました。

インタビュー【後篇】に続く

永井郁子(ながい・いくこ)

1955年広島県⽣まれ。多摩美術⼤学で油画科を卒業後、アルバイトをしながら絵本作家を⽬指す。1986年に寺村輝夫から童話創作を学んだことを機にコンビを組み、「わかったさんのおかし」シリーズや「かいぞくポケット」シリーズ(ともにあかね書房)などの挿絵を⼿がける。著書に「おしゃれさんの茶道はじめて物語」シリーズ(淡交社)など多数。
永井郁子のホームページ http://www.nagai-ehon.com/

わかったさんのスイートポテト(わかったさんのあたらしいおかしシリーズ 1)

定価 1,320円(税込)
あかね書房
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次の話を読む「この絵で10年は食べていける」『わかったさんのスイートポテト』永井郁子が寺村輝夫から受けたリクエスト

2024.09.13(金)
文=ゆきどっぐ
撮影=山元茂樹