パリ時代を語る極めつきともいうべき一編は、「千年生きることができなかったアルベルト・ジャコメッティ」だろう。わたしは、何度読み直しても温もりとともにあてどない寂しさを味わう。すさまじいほど仕事に没頭していたジャコメッティは、こんなふうに描写されている。

「私は何となく彼の気魄(きはく)に押され始めていた。仕事のことしか頭にない。仕事の中でしか生きられない苦痛にみちた彫りの深い顔が美しく見え出していた」

 年若い妻アネット、モデルを務めていた矢内原伊作、その三人の横にいつも自分がいたと述懐しながら描く、交錯した感情。そして、ジャコメッティから身をもって教わった純粋な芸術性は、その無類の生きかたとともに、歌手人生を全うするうえで生涯の指針となった。

「第三部 母たちのこと」には、日本での心象が綴られる。パリから帰国したのは五八年、三十六歳のときだった。その四年後、相手の離婚が成立するのを待ちつづけて新聞記者・土居通夫と再婚。シャンソン歌手のかたわら、みずからの事務所を設立、後進の育成や外国からのアーティストの招聘(しょうへい)、レストラン「メゾン・ド・フランス」経営、日本シャンソン協会の設立、チャリティ活動、やっぱり自分で自分の道を切り拓かずにはいられない女性だった。そして八〇年、五十八歳のとき夫が急死――。「我が家の土鍋」は、夫を亡くしたあとしまいこんでいた土鍋にまつわる記憶がほろ苦い。歌手ジョセフィン・ベーカーとエリザベス・サンダース・ホーム園長、沢田美喜との交友にまつわる「母たることは」には、なにかにつけて面倒見のよかった石井好子の母性が行間から滲んでおり、料理やパリを語るときの筆致とは異なる痛切が伝わってきて胸を衝かれる。

 こうして石井好子が辿ってきた道をあらためて振り返って気づくのは、「ボンジュール」「こんにちは」とおなじ数だけ「オルヴォワール」「さよなら」があったということ。悲哀にたっぷりと身を浸したひとだから、そのぶん勇気をふるって人生を謳歌した。だからこそ、おしまいの一編「グッドラック」、かすれた声で発せられた母の最後の言葉が重いものとして輝く。石井好子はずっと、グッドラックの言葉に守られて生きたのだ。

精選女性随筆集 石井好子 沢村貞子(文春文庫 編 22-12)

定価 1,100円(税込)
文藝春秋
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2024.08.31(土)
文=平松 洋子(作家、エッセイスト)