転機となったのは医学部1年生の頃、初めて統合失調症の方と対面した時のことです。彼は人から銃で狙われていると信じて、診察室では恐怖で人の目を見ることも言葉を発することもできず、うつむき、汗をかきながら震えていたのでした。その姿を見て、これは気の持ちようとかではない脳の病気だと理解しました。しかし、ひとたびドーパミン遮断薬の服用を始めると、自分の妄想を疑い始めた彼は次第に医師や看護師の目を見て話せるようになり、最終的には他の患者さんとジョークをかわせるほどになったのです。治療によってこんなにドラマティックに変わることができるとはと驚きました。
人間の考えや行動を司る脳にかねてから興味を持っていた私は、脳のすごさに驚くと同時に、そのメカニズムをもっと知りたい、解明したいと強く思ったのです。また、患者さんの人生を間接的にともに歩み、その心のしがらみを解く一助となれるかもしれないということに感動も覚えました。感情や行動について生物学的なアプローチと心理学的なアプローチの合わさるところに精神科の医師になることの魅力があると気づかされたのです。
さらに、子どもの精神科に関わる中で子どもの精神疾患の難しさを、一方で治療が可能であること、治療できた場合の子どもたちの人生へのインパクトも多大であることを実感するにつれ、私の中で小児精神科医になる決意は揺らがないものになりました。その後、医師になって20年経とうとしていますが、今ではこの仕事は天職だったと確信しています。
まだまだ働くお母さんが珍しかった時代、私は母が医師になる姿、研修医として駆け回る姿を幼少時から見ることができました。そして、そんな母を心から愛し、その成功と幸せを望む分子生物学者の父がイェール大学に研究留学したことで、我が家は私が4歳のときにアメリカのコネチカット州ニューヘイブンに引っ越しました。家族として新しい文化の中で新しい経験を重ね、その環境のなかで娘の私は計り知れないギフトを得ました。そんな時期に母が出会ったのが経済学者の浜田宏一さんでした。
2024.08.02(金)