仕事を諦めたことはない

――『アンメット』でも、レナさんが牛の絵を見て「うし」と書く訓練をしていましたね。あの牛の絵が、清水さんの使っていた教材の牛の絵とそっくりでした。

 清水 そうだ、同じ牛だったかも。ああいう教材はそんなに何種類もないですもんね(笑)。あと、このドラマでは、レナさんの耳には相手の言葉がこう聞こえるというのを、「うにゃうにゃうにゃ」って謎の外国語みたいな言葉でしゃべってるように表現してましたけど、私の聞こえ方とはちょっと違うなと思って。

――清水さんは、相手の言葉は聞き取れていたんですか?

 清水 はい、わからない単語はあったけど、旦那が話している内容はなんとなくわかっていました。それに答えようとして、頭では「こう言いたい」という言葉があるんだけど、口から出るときは全部「お母さん」と「わかんない」になってしまっていたんです。

――レナさんの夫がレナさんに手帳やスマホを見せて「これは何?」と何度も聞いているのを見て、ミヤビちゃんが「できないことをずっと確認されられるのはレナさんも辛いと思う」というシーンがありましたけど、清水さんもリハビリ中、「嫌だな、辛いな」と感じたことはありましたか? 

 清水 いや、リハビリのテストは本当に難しくて全くできなかったんですけど、「辛い」よりも「なんとかしなくちゃ」という思いのほうが強くて、必死でした。言葉が話せないし書けないっていうのは大変なんですよ。お風呂に入りたいと伝えたいときは、お風呂まで行って扉をバンバン叩いて訴えていましたから。

――ボディランゲージで伝えるしかないと。

 清水 今だったら「尻文字で伝えればよかった」とか思いつくんですけど。あ、ひらがなが書けなかったから、お尻で文字も書けなかったか(笑)。

――記憶障害があるからという理由で、ミヤビちゃん自身が患者さんの手術をすることを避けていると知った三瓶先生が、「あなたは障害のある人は人生を諦めて、ただ生きていればいいと思っているんですか?」と問いかけるシーンも印象的でした。清水さん自身、失語症になったあと、コラムニストの仕事を諦めようと思いましたか?

 清水 諦めたことはないですね。というか、「私は今もコラムニストです」って思ってたわけじゃないんですけど、「いつか失語症になった話を書くぞ」とは思ってました。そうしたら「週刊文春WOMAN」で連載ができるようになって。

――それが『失くした『言葉』を取り戻すまで』という本になって。

 清水 こんなすごいネタがあるのに書けないのはもったいないですよね。本にすることができて、本当によかったです。書くといえば、ミヤビちゃんは寝て起きたら記憶が消えてしまうから、毎日日記をつけていたじゃないですか。私も失語症になる前は日記をつけていて、倒れてからはずっと書いていなかったんですけど、最近またちょこっとずつ書くようにしています。やっぱり日記は大事だなって。

2024.06.30(日)
文=臼井良子