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専業主婦だった36歳、スイスの州立製菓学校に

 アフタヌーンティーの習慣が広がったのは、19世紀。イギリスの7代目ベッドフォード公爵夫人、アンナ・マリア・ラッセルが始めたとされています。

 当時の貴族は政略結婚が多く、顔も知らない人と結婚させられることもありました。堅苦しい晩餐会や行事の合間に、婦人たちがサロンで紅茶を飲みながら、夫の愚痴をこぼしたりしたのが、アフタヌーンティーの始まりです。あの3段のケーキスタンドは、狭いサロンのテーブルでもスコーンやサンドイッチ、甘いお菓子や紅茶がいただけるように、という発想から生まれたんですよ。

 窮屈な思いで生きていた女性たちにとって、アフタヌーンティーのひとときは、リラックスでき、くつろげる時間だったのでしょうね。けれど、このサロンでの話は決してサロンの外に漏らしてはいけない。こうしたことから、相手を信じる力や聞く力も「アフタヌーンティーのマナー」として育ってきたのです。

 私はベッドフォード公爵家にお招きいただいたこともあり、生徒さんとアフタヌーンティーをご一緒したこともありますが、お茶を飲みながら優雅な気分で心が癒やされる時間と場所は、現代でも必要だと感じています。

――「ベッドフォード公爵家に招待される」とはすごいですね……。なぜそんなご縁が?

 それは私が人との繋がりを大切にしてきたからだと思います。

 私は専業主婦だった36歳のときに、スイスの州立製菓学校に研修に行きました。大変格式のある学校で、外国人、しかも日本人を受け入れるというのは初めてのことだったそうです。当時私は2人の子育て中でしたが、ママ友からこの情報を聞き、なんとか伝手をたどって、ホテルのパティシエや菓子メーカーの社長さんに交じって参加させてもらいました。

 この話を聞いたとき、どうしても夢を叶えたくて母に相談したんです。すると母は、「自分の時代には結婚して子どももいる女性が自分の夢を叶えるなんて許されなかった。これからは女性も自分の夢や希望を叶える時代が来る。私が子どもたちの面倒は見るから、行っていらっしゃい」と背中を押してくれました。

 夫も説得し、1カ月研修に行かせてもらったことをきっかけに、「伝統」のよさを知った私は、その後も何回も渡欧。徹底的に「本物」に触れ続けたことで、いろいろなご縁をいただき、貴族の方や政財界のトップの方々とも交流させていただくようになりました。

――ヨーロッパでは、伝統菓子が何世紀も同じ名前と形で受け継がれ、文化として定着していることにも感動したそうですね。

 はい。そして、実際を知らなければ、伝統を正しく伝えていくことはできない、と強く思いました。ですから私は、見聞きしてきたお菓子の製法や名前はできる限り現地の言葉で伝えてきました。

――サロンで大人気の「マリー・アントワネット妃のお菓子たち」も、本物へのこだわりがたくさん入っているとお聞きしました。

 マリー・アントワネットの名前で召し上がっていただくのに、何となくそれらしい、ではいけませんよね。「Larousse Gastronomique(ラルース・フランス美食辞典)」で調べたり、アントワネットの故郷を訪ねたりして、可能な限り「本物」を入れるようにいたしました。

 アントワネットが愛したクグロフや、プチ・トリアノンでアントワネットがよく手作りしていたというメレンゲが入っているのは、そうした理由からです。

2024.06.18(火)
文=相澤洋美
写真=榎本麻美