死について「常に覚悟はしていました」

 タンタンは、阪神淡路大震災が発生した1995年に中国で生まれ、震災で傷ついた神戸市民らを元気づけるということで2000年に来日。王子動物園の加古裕二郎園長は追悼式で「神戸の復興のシンボルにふさわしく、多くの市民を励まし、最後まで神戸で復興を見届けてくれたことに最大限の敬意を表したいと思います。祖国を離れ、縁あって日本と中国の友好の架け橋として神戸で過ごし、人々に愛され続けて、ここ神戸で一生を終えたタンタンの功績を神戸市民や多くのファンは決して忘れることはないでしょう」と述べました。

 タンタンを15年間担当した飼育員の吉田憲一さんは、「治療をがんばってくれたおかげで、パンダの病気について分かったことがたくさんあったと思います。今後、ソウソウ(爽爽)に教えてもらったことから、長生きできるパンダが増えるのではないかと思っています。大きな功績を残してくれて本当にありがとう」と涙声で語りました。

 ソウソウは、中国でタンタンに付けられた中国名。タンタンは日本で付けられた愛称です。王子動物園の飼育員は普段、ソウソウと呼んでいました。

 16年間タンタンを担当した飼育員の梅元良次さんは「心臓疾患が見つかってから毎日がんばって治療に取り組むあなたを一番近くで見てきました。本当は一番つらく大変だったのは、あなたのはずです」と語り、「最期の瞬間まで本当によくがんばってくれました」とタンタンをいたわりました。

 タンタンは2021年3月に心臓疾患が判明しました。3月31日(日)の夜は、タンタンが呼吸をしていないことに気づいた宿直の飼育員がすぐに宿直の獣医師を呼び、午後10時23分から心肺蘇生処置を開始。退勤していた吉田さんと梅元さんも駆け付け午後11時前に到着して、処置に加わりました。しかしタンタンは午後11時56分に心肺停止となり、死亡が確認されました。

 タンタンの死を覚悟した時期について、梅元さんは「心臓疾患が発見された頃から、自分で病気のことを調べたり、獣医師に聞いたりして、どのような病気かなんとなく理解していたので、常に覚悟はしていました」。

 NHKが4月29日(月)に放送した『ごろごろパンダ日記』で、梅元さんが涙を流しながら「初めて泣いたな」と話すシーンがあります。なぜこのときだったのか筆者が梅元さんに尋ねたところ、「撮影がいつだったか覚えていませんが、改めて話しながら、いろいろと思い出してしまったからだと思います。亡くなってからは、ずっと気が張っている感じだったためか、一人でタンタンのことをゆっくり考えることがありませんでした」とのことです。

2024.06.18(火)
文・写真=中川美帆