幸せを前借りしたから、最後の時まで一緒にいる
――ここからは、ペットの「看取り」について伺いたいです。たくさんの猫たちを見送ってきた仁尾さんは、「看取り」をどう受け止めていますか?
僕の短歌の中で一番反応が多いのがこの一首です。
幸せは前借りでありその猫を看取ってやっと返済できる
(『また猫と 猫の挽歌集』より)
動物を飼っている人たちの間では、亡くなったペットたちが苦痛から解放されて幸せに暮らす「虹の橋」の話が有名です。それはとてもすばらしいことなんだけど、それとは別に、今ここにある僕の「しんどさ」は、どうすれば楽になるんだろうと考えて、考えて、考えてたどり着いたのがこの一首にある「幸せ前借り理論」です。こう考えることにしたことで、看取りを「負うべきもの」として捉えられるようになった。ちょっとだけ気持ちが楽になりました。
――どんなに一生懸命看取ったとしても、どうしても後悔が生じてしまうと思います。そうした後悔を受容するにはどうしたらいいですか?
本当にそうですよね。自責や後悔は多かれ少なかれ「必ず」生じてしまいます。逆に言えば、それが最善の策であったとしても「必ず」後悔しちゃうんです。自分を責めちゃうんですよね。でも、後悔は「後」だから「悔いる」ことができるんです。
この世で一番好きで大切な存在がしんどい時間に、世界で一番近くで寄り添ってあげたいと強く思っている飼い主が、その時点で最大限に考えてしたことは全部「最善」だと思うんですよ。
後で考えて「ああすればよかった」「こうできたのでは」「なんで早く気づけなかったんだろう」というのは、後でだから思いつくこと。だから、渦中に「選択しなかったこと」は、すべていわば想像上の「ファンタジー」です。だから後悔してしまうことは仕方がないんだけど、ファンタジーを悔いても意味がないと思うことにしています。もちろん、こんなにうまく割り切れないこともよくわかっているんですけどね。
――大切なペットを見送った後、なかなか立ち直れない人も多くいると思います。そんな方々にどんなことを伝えたいですか?
大好きな存在がいなくなっちゃうなんて、立ち直れなくて当たり前だと思います。だから心の予防線として「めちゃくちゃしんどいけど、あんなに楽しかったじゃん。あれは前借りだったんだから、このしんどさは前借りの返済だよな……」って無理やり納得するしかないんじゃないかな。
「立ち直るって何?」とも思うんです。立ち直っているように見えたとしても、別に乗り越えたり、忘れたりしているわけじゃなくて、悲しみが「沈殿した」だけだと思っています。沈殿した悲しみに、なんとか触れないように生きられるようになるだけのことで、悲しみ自体はずっと存在するんですよね。でも、僕は「時間が解決する」みたいな考え方があまり好きではなくて。時間が解決しているように見えることって、ちゃんとその人自身が時間をかけて解決しているってことだと思うので、それは自分をねぎらっていいのではと思っています。
――最後に、『また猫と 猫の挽歌集』をどんな人に届けたいですか?
昔、大好きな猫を看取って「猫は飼いたいけど、もう看取るのはしんどすぎるから飼わない」という人もたくさんいると思うんです。そういう気持ちもすごくよくわかるし、否定するつもりも全然ありません。そんなしんどさは、人それぞれで外からは窺いしれないものですから。
でも、そんなに猫を大事に思って飼える人はすごく貴重な存在。そういう人が猫と暮らせないというのは猫界にとって大きな損失だとも思っていて。いままだ本当の家にたどり着けていない猫がいるわけですし、幸福になる機会が1匹分失われているということなので。そういう人がこの本を読んで「後悔や自責の念はみんなにもあるんだな」「また猫を飼ってみようかな」って、少しでも前を向けたらいいなと思ってます。
今すぐに読むのはしんどい、という人はあとがきだけでも読んでもらいたいです。全然ネタバレにはなっていない内容なので。……で、読めそうなときにすぐ手に取れるように常備薬みたいに本棚に置いておいていただけると嬉しいです。
あと、猫だけじゃなくて、犬でも、人でも、そのほか大切な存在を失ったことがある全ての人に届いてくれたら嬉しいですね。
『また猫と 猫の挽歌集』
定価 1,980円(税込)
雷鳥社
多くの猫を愛し見送ってきた 猫歌人・仁尾智と 多くの“猫飼い”の声を聴いてきた 猫本専門店オーナー・安村正也が贈る、猫の挽歌集。全115首。
2024.06.14(金)
文=船橋麻貴
写真=末永裕樹