なお本作が「オール讀物」に掲載されたときのタイトルは「簪」であり、二〇一七年十月に刊行された『鬼平犯科帳』トリビュート・アンソロジー『池波正太郎と七人の作家 蘇える鬼平犯科帳』に収録された際に、現在のタイトルに改題されたことを付け加えておく。

 以下の話は簡潔に記すことにしよう。「旧恩」は、若手同心の今永仁兵衛が、幼い頃の自分の命を救ってくれた、うめのという女と再会。そこから盗賊の捕物へと繋がっていく。発句に託した暗号もあるが、注目すべきは、うめのの心の変化。本書の中で、『鬼平犯科帳』テイストが、もっともよく出た作品になっている。

「陰徳」も、ある人物の描き方が、『鬼平犯科帳』テイスト。そこにミステリーの要素を色濃く入れて、興趣に富んだ物語にしている。

「深川油堀」は、手先の銀松が、かつて縁のあった掏摸・梵天の善三を見かけ、後を追う。ところが浅草の〈矢場一〉という楊弓場に入った善三が連れ出してきたのは、店の看板娘で、仁兵衛の手先の可久であった。ここから可久の過去と、善三の罪が露わになっていく。シリーズ物の面白さのひとつは、脇役陣にスポットを当てること。それにより物語世界に厚みが生れるのである。後半の緊迫した展開も、大いに堪能した。

 そしてラストの「かわほりお仙」は、押し込み強盗の引き込み役を務めていた仙と、手先の歌吉が再会し、新たな事件が起こる。歌吉にスポットを当てながら、揺れ動く女心の恐ろしさと悲しさを巧みに表現したところが、読みどころとなっている。

 火付盗賊改方と盗賊の闘いを描いているのだから、本シリーズの内容は基本的にハードである。しかし濃淡こそあるものの、どこかに人の情が盛り込まれている。これも『鬼平犯科帳』を意識してのことだろうが、作者本来の資質もあるのではないか。というのも作者は、警察小説の優れた書き手であると同時に、警察小説の大ファンである。エッセイと対談を収録した『わたしのミステリー』でも、何度も警察小説に触れているが、その中でウィリアム・P・マッギヴァーンの『最悪のとき』について、

「わたしにとって警察小説の原点ともいえるのが、マッギヴァーン。ハードボイルドでありながら、ほどよいセンチメンタリズムを失わない彼の作品を読むなら、まずはコレから」

 と述べているのだ。拡大解釈になるが、本シリーズは「江戸の警察小説」といえるのではないか。だから“ハードボイルドでありながら、ほどよいセンチメンタリズムを失わない”作品になった。長き読者人生と、作家人生の積み重ねを糧にしているからこそ、本シリーズは逢坂版『鬼平犯科帳』として、独自の光彩を放っているのである。

平蔵の母(文春文庫 お 13-24)

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文藝春秋
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2024.05.17(金)
文=細谷正充(文芸評論家)