「そのときは作家になろうなんておもってもいなかったから、何気なく読んで、スラスラ読めるけど、後には何も残らないなあ、なんて思ってましたよ。重くないからスラスラ読める。無邪気な読者でしたね」

 といい、池波の文体に関心を持つようになったのは、作家になってからだと語っている。では作者は、いつ頃から時代小説の執筆を考えるようになったのか。書店チェーンの有隣堂が発行している「有隣」四七〇号に掲載された座談会を読むと、五十歳前後であるようだ。また古本屋で、蝦夷地の探検で知られる近藤重蔵のことを立ち読みし、深い関心を抱くようになる。その結果、二〇〇一年の『重蔵始末』から始まる、シリーズが生れたのである。連作スタイルで重蔵の生涯を描き切った「重蔵始末」シリーズは、時代小説でありながら、歴史小説の部分も持ち合わせている。このハイブリッド感が、大きな特徴だろう。

 さらに第三巻まで、重蔵が火付盗賊改方だった時代を扱っていることを、注目ポイントとして挙げておきたい。いうまでもなく重蔵が火付盗賊改方の一員だったことは事実だが、『重蔵始末』を最初に読んだとき、これは逢坂版『鬼平犯科帳』だと思ったものである。

 そんな作者が「火付盗賊改方・長谷川平蔵」シリーズを開始したのは、必然というべきか。二〇一二年三月刊行の『平蔵の首』を皮切りに、『平蔵狩り』『闇の平蔵』、そして本書『平蔵の母』と、現在までに四冊が刊行されている。二〇一五年に『平蔵狩り』で第四十九回吉川英治文学賞を受賞していることからも分かるように、作品の評価は高い。だが作者には、並々ならぬ苦労があったことだろう。

 そもそも本シリーズを手にする多くの読者は、大なり小なり、池波の『鬼平犯科帳』を意識しているはずだ。「人間は、よいことをしながら悪いことをし、悪いことをしながらよいことをしている」という人間観に貫かれた、ハードでありながら潤いのある物語世界。それを壊すようなまねはしてほしくないと思ったのではなかろうか。

2024.05.17(金)
文=細谷正充(文芸評論家)