一方、逢坂剛のファンは、作者ならではの“鬼平”の世界を期待している。つまり、二つの要素を両立させなければならないのだ。それを作者はやってのけた。この観点から本シリーズを眺めると、いろいろなことが見えてくる。たとえば、平蔵――配下の与力・同心――手先(密偵)という図式は、『鬼平犯科帳』と一緒だ。また、盗賊たちのいかにも“らしい”異名や、配下の者たちや手先と集まる店があるのも、池波作品を踏襲している。

 しかし一方で、池波作品の特色である盗人世界独自の用語などは使用されていない。さらに、平蔵が悪党たちに滅多に顔を見せず、筆頭与力の柳井誠一郎をときには影武者として使うという、独自の設定が盛り込まれている。『鬼平犯科帳』テイストを感じさせながら、自分なりの世界を創り上げているのである。

 その中で、もっとも逢坂剛らしさを感じさせるのが、ミステリーの要素だ。当然ながら『鬼平犯科帳』にも、ミステリーの要素はある。ただ、どちらかといえばサスペンス主体だろう。それに対して本シリーズは、ミステリーのサプライズを入れていることが多いのだ。このことに留意しながら、収録作に触れていきたい。

 冒頭の「平蔵の母」は、手先の美於が柳井誠一郎のもとに、とんでもない情報をもたらす。料理屋の〈元喜世〉に客として訪れた、織物問屋〈岩崎屋〉の主の母親・きえが倒れ、店で看病することになる。だが、〈岩崎屋〉などという店は存在していない。さらにきえの言葉から、彼女が平蔵の母親である可能性が浮上するのだ。この騒動を通じて、長谷川家の過去に関する説明を入れながら、意外な真相へとストーリーを運ぶ、作者の手練が素晴らしい。

 続く「せせりの辨介」は手先の小平治が、かつての盗賊仲間・ばってらの徳三を見かけたことから、平蔵たちが動き出す。今は神楽坂にある古物商〈壺天楽〉の主をしている徳三。平蔵や同心の俵井小源太、手先のりんたちが見張っていると、三十前後の女が店に、薬師如来の立像を持ち込む。ここから物語が予想外の方向に転がっていき、平蔵たちは徳三を仲間に引き入れようとする盗賊・せせりの辨介一味を追うことになる。邪魔な相手をあっさりと殺す凶悪なせせりの辨介一味と、平蔵たちの水面下での読み合いが見どころと思っていたら、ラストで特大のサプライズが待ち構えていた。これは凄い。また、ある浪人者の扱いから、平蔵の情けが伝わってきた。ここも本作の魅力であろう。

2024.05.17(金)
文=細谷正充(文芸評論家)