たまたま遠慮のないドライバーだっただけなのに、場所が京都なだけで、つい「塩対応された!」と私が過剰に反応してしまったのかもしれない。「ほらみろ、さすが京都人だ」「やっぱり、いけずだ」と、この街の人をステレオタイプ化するのは、メディアの影響を受けた他県人の悪いクセである。
「いや、それは“いけず”じゃなくって…」
とはいえ、店主の対応が「塩だった」というのは、やはり京都ではなんども耳にする話である。
飲食店に入って、席がいくつも空いているのに「いっぱいです」と無下に断られたとか。地元の人と思われる別のお客さんに対する接客とは、明らかに温度差のある対応をされたとか。あれ? もしかして差別されてる? 塩対応された側は傷つく。
「いや、それはいけずやいじわるじゃなくって。誰を優先するかっていう順位がはっきりしてるだけやと思いますよ」
そう教えてくれたのは、京都で書店、誠光社を営む堀部篤史さんである。
京都の店を支えているのは観光客だけではない。毎週、毎月、足しげく通ってくれる馴染みの客こそ大切な存在だ。だからたとえば喫茶店だったら、常連が心おきなく過ごせるよう席をぎゅう詰めにしないとか、いつもの特等席を空けておくなどの配慮が、あたりまえに取られる。
京都のすべての店に当てはまるわけじゃないけれど、と堀部さんは前置きをしたうえで、そういう対常連客と、対それ以外の客への「ダブルスタンダードは存在する」ときっばり言うのだった。そうなのか!
ダブルスタンダード、イコール差別ととらえるか、単なる区別ととらえるか。ありえないことだと非難するか、当然のことと理解を示すか。店主と客の意識が合致すれば、双方ハッピー。店側と客側に意議のズレがあり、不和が生じたときには、妖怪・塩対応がぬっと現れ、私たちをうろたえさせる。
万人受けする商いがマニュアル化されている大都市とは違って、店主それぞれのポリシーが色濃く反映された個人経営の店が多く残る京都では、よりその確率が高くなるのではないか。と私は踏んでいる。だから「京都の店は塩対応」などと安易にジャッジされてしまうのだ。たぶん。
2024.05.15(水)
文=仁平 綾