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世界遺産オペラハウスに秘められた革新の美学
世界3大美港に数えられ、人口約520万を誇る大都会シドニー。
この街には、まさにオーストラリアの美意識が凝縮している。
華麗さを競う欧米とも、細部にまで魂を込めるアジアとも異なりおおらかで健やかな感性から生み出される独自のスタイルには上質さ心地よさへのこだわりが溢れ、自分らしくのびのびとしたオージーたちの生き方にも通じるもの。
大都会の青空の下、そんな暮らしの美学を体感してみよう。
壮大な建築に宿った先人たちの想いを知る
オーストラリアの象徴として圧倒的な存在感で鎮座するシドニーオペラハウス。この“最も若い世界遺産”がなぜ偉大なのか、そこには多くの人々による苦難と栄光のストーリーがある。
「オーストラリアには、まともなコンサートホールがない」
英国人指揮者ユージン・グーセンスのこの発言から始まった、前代未聞のオペラ劇場建設プロジェクト。建国50年ほどのオーストラリアにとって誇りとなるものを造りたい、そんな思いも乗せながら、ときの州首相ジョゼフ・カールの強い支持によって計画は動きだす。
1954年に締め切られたデザインコンペ。222件の応募のなかから選ばれたのは、デンマークの建築家ヨーン・ウツソンによるシンプルなデザイン画。奇抜なアイデアゆえに一次選考では落選するも、世界のどこにもないものを造ろうという選考委員たちの思いによって復活。国際的には無名だったウツソンの大抜擢へと繋がった。
当初の予定では、総工費は700万ドル(現在の価値で推定約130億円)、完成は1963年。だが、計画は早々から暗礁に乗り上げてしまう。この構造を造る技術が世界のどこにも存在しなかったのだ。
ウツソンが天才的なひらめきで“球面解決法”を編み出し、技術者たちが数々の革新を生み出すも、たび重なる工期の延長、費用の増大が問題化。やがて計画の変更・見直しが取りざたされ、多くの軋轢のなかでウツソンは監督を辞任してしまう。そして、祖国に帰った彼は、再びオーストラリアの土を踏むことはなかった。
後任には、オーストラリア人のピーター・ホールらが就任。多くの建築家の力も得ながらプロジェクトを継続し、予定より10年遅れの1973年、ついに完成する。最終的に1億200万ドル(同推定約1850億円)を投じた劇場のお披露目には、英国エリザベス女王も列席、盛大な祝福が行われた。
さて、館内に入って空間を眺める。そこには、この建築の構想から完成までの苦難が凝縮しているのが分かるだろう。幾何学模様を描くコンクリートは、巨大なシェルを支える構造そのもの。それを隠すことなくそのまま見せる大胆さは当時としては斬新であり、建築家たちに衝撃を与えた。
さらに古代神殿をモチーフにした階段、外界とシームレスに溶け合う巨大なガラス窓など、ウツソンのアイディアを具現化した空間と、そこに秘められた多くの技術者たちの苦労と喜びに思いを馳せたとき、ここを訪れた感動はさらに大きいものになる。だからこそ、見学の際には、日本語も用意されたガイドツアーへの参加を強くおすすめしたい。
人類の創造的才能を表現する傑作として2007年、世界遺産に登録されたシドニーオペラハウス。翌年4月9日には、シドニー交響楽団の演奏でスタッフが「Happy Birthday to you」を斉唱するイベントが行われた。
この日は、ウツソン90歳の誕生日。深い感謝の気持ちを受け取った彼は、半年後の11月29日にこの世を去った。なお生涯を通じて、完成したオペラハウスを訪れることは一度もなかったという。
Sydney Opera House(シドニーオペラハウス)
所在地 Bennelong Point, Sydney
電話番号 02 9250 7111
※入館のみは無料
●日本語ツアー(30分)$32 ※11時、12時、13時30分、14時30分、15時30分出発(開催されない日もあるのでウェブサイトにて確認を)
●サーキュラー・キー駅から徒歩約10分
https://www.sydneyoperahouse.com/
オーストラリア政府観光局
Column
CREA Traveller
文藝春秋が発行するラグジュアリートラベルマガジン「CREA Traveller」の公式サイト。国内外の憧れのデスティネーションの魅力と、ハイクオリティな旅の情報をお届けします。
2024.04.30(火)
文=矢野詔次郎
写真=志水 隆
イラスト=久保雅子
コーディネイト=トニー・フライ、東野ユリ(Spinnaker Films)