宮﨑アニメには「ルパン三世 カリオストロの城」「魔女の宅急便」「ハウルの動く城」などの原作付き作品が多く、「君たちはどう生きるか」も、物語の骨格はアイルランド人作家のファンタジー「失われたものたちの本」からの影響が濃い。宮﨑駿の創造性は、作品自体を無から造り上げることにあるのではなく、自らが影響を受けて土台とした作品から旅立ち、まったく異なる境地へとたどり着くまでの長い長い道のりと、その到達点の高みによってこそ測られるべきものなのだ。
では、「デューン」を出発点と見なした時に明らかになる映画版と漫画版、それぞれの「ナウシカ」の到達点はどのようなものなのか。
高畑勲は「30点」と酷評
宮﨑駿は1982年から漫画「風の谷のナウシカ」の連載を始めたが、翌年にはそれを中断して映画版の制作に入り、ちょうど40年前の1984年3月に公開にこぎ着けた。当時、プロデューサーを務めた高畑勲監督は「こういう映画があたらなくては、どんな映画があたるのか」とエンターテインメントとしての映画版の出来栄えを絶賛しつつも、「宮さんの友人としてのぼく自身の評価は、三十点」と酷評した。その理由として高畑は「ぼくとしては『巨大産業文明の崩壊後千年という未来から現代を照らし返してもらいたい』と思っていたんですが、映画はかならずしもそういうふうになったとは言えない」としている。
高畑の言葉はやや抽象的だが、「デューン」と映画版「ナウシカ」を比較すればその意味は明らかだ。当時のキャッチコピー「少女の愛が世界を救う」が示すように、映画版「ナウシカ」は、自然を愛する少女が生まれ持った正体不明の不思議な力で自然との調和を取り戻し、風の谷の人々を救うという救世主譚以上のものではない。
「デューン」が「聖書」という人類の歴史に最も影響を与えてきた物語を相対化し、救世主譚自体の脱構築を目指したことに思いを致せば、映画版「ナウシカ」は出発点の「デューン」よりもむしろ後退している。確かに「王蟲」や「腐海」の描写は単調な砂漠と比べて圧倒的に豊かだが、その物語的な役割は「自然の環境浄化力の強調」という域にとどまっており、巨大な「砂蟲(サンドウォーム)」を頂点とする惑星単位の生態系の緻密な設定・描写がある「デューン」に比べて特に秀でているわけではない。
2024.04.18(木)
文=太田啓之