鈴木 あれは、僕が「切ったら?」って言ったんですよ。気分転換にね、「切ったらどうなの?」みたいな言い方。本人嫌がってましたけどもね。冗談で、剃っちゃいましたね。ヒゲがあると立派そうに見えるじゃないですか。それを取っ払うところからスタートなんていうことをね、ちょっと考えたんですよね。で、本人もね、ヒゲを剃ったあとは、それまではそうじゃなかったんだと思うんですけども、やたら鏡を気にするようになったというか。そんなこともありました。

 ——今日は3月11日ということで、東日本大震災の大きい節目でもあり、「風の谷のナウシカ」を公開されたのが、ちょうど1984年の今日ということで、40周年になると思うんです。ファンの間では、「風の谷のナウシカ」の続編への期待も上がってると思いますが、鈴木さんが傍で見ていて、ナウシカっていうのはもう1回なにかやる可能性がありそうですか。

 鈴木 (ナウシカ公開から)40周年っていうんですか。ジブリってねえ、何周年記念っていうのはただの1度もやってないんですよ。なんでかというと理由があるんです。宮﨑と僕が大嫌いだからですよ。それによって困るときもあるんです。会社ができてから何年経ったんだろう、っていうときにね。節目があると良いんですけれどもね。でも、何周年記念っていうのは、過去を振り返るんですよ。やっぱりできれば前を向いていたい。それが大きいですね。

 それともう一つ、ナウシカをもう一度、その続きをやる気があるのかって……その機は逸しましたね。で、これ(3月11日)はね、ジブリの運命が決まった日なんですけども、当時、それこそ40年前ですか、ナウシカを作って映画公開しました。そうしたらおかげさまで大ヒットしたんですよ。そうすると当時、そのお金を出してくれたのが徳間書店の徳間康快。普通だったらですよ、「パート2をやれ」と言うのが普通でしょう? その徳間っていう社長はね、ひと言も言わないんです。で、常に新しい物を求めたんです。もしかしたらね、その精神が今のジブリに……ジブリを作ってくれたのは徳間康快っていう人なんですけれども、その精神を受け継いでいるのかなって。

2024.04.11(木)
文=「文藝春秋」編集部