「おふくろの味」がない
若い頃は酒をたくさん飲んでそのまま寝て、次の日に備えるような生活だったので、食事なんて「何でもいいや」という感じでした。自分でも、こんなに穏やかな生活を送ることになるなんて想像していなかった。料理自体は売れない役者の時代からやっていたんですが、当時はとにかく飢えをしのぐという感じで、凝った調味料があるわけでもなく、今みたいに料理が楽しいなんて思いはありませんでした。ただ外食するお金がないから自炊せざるを得ないだけ。キャベツ1個で1週間過ごすなんてこともありました。
俺には「おふくろの味」もないんですよ。母親はお世辞にも料理上手とは言えなくてね。母が作った料理を何一つ覚えていません。
父はたまに台所に立つことがあったけど、まずほとんど家に帰って来ない。元々は国鉄職員で、我々一家は茨城県に住んでいましたが、ある駅で若くして出世して「俺には才能がある」と勘違いしたのかな。東京の夜の街に浸かって、よそに女を作ってほとんど帰ってこなくなった。本当にたまに帰ってきた時は自分が食べたいものだけ作っていましたけど、夫婦喧嘩が絶えないので家族全員で仲良くご飯を食べた記憶はありません。
そんな幼少期や下積み時代を送ってきた俺の理想はずっと、家族一緒の美味しい食事でした。子どもには自分みたいな思いをさせたくなかったので、娘が小さいときはできる限り3人でご飯を食べるようにしていました。
売れない役者時代に出会い、結婚して50年近くになるカミさんとは、今もよく国内外に旅行に行きますが、昼と夜、ご飯のときだけは一緒に食べています。それ以外は別行動が多いんですけどね。俺は心の赴くままに歩くのが好きで、向こうは景色のいいところで本を読むのが好き。でもやっぱり旅先で1人の食事はなかなか寂しいじゃないですか。特に海外で1人でディナーを食べるなんて。何回か経験したことはありますが、あれはきつい。だから、ご飯の時だけは揃って食べています。
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本記事の全文は「文藝春秋 電子版」に掲載されています(「野菜作りとヨガの穏やかな生活」)。
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2024.03.05(火)
出典元=文藝春秋「2024年1月号」