墓標には「鹿児島」や「沖縄」の文字が

 当時の様子を伝える写真の中に、日本からの移民たちの集合写真がありました。着物姿の男性たちの口が一文字に結ばれているのは、故郷から遠く離れたこの地で生きていくという決意の表れなのでしょうか。彼らの中には地元の女性と結婚し、鉱山の労働から抜け出して農業や商店を自ら営むようになった人も。

 けれど1930年代に入ると、世界恐慌や第二次世界大戦によって状況は一変。日本人移民はそれまでに築いた財産を没収され、オーストラリアの強制収容所へ、あるいは日本へ強制送還された人も。

 山間の日本人墓地をたずねると、鹿児島や沖縄出身と刻まれた墓標がいくつも並んでいました。明治期から昭和にかけて、ニューカレドニアという異国で奮闘した先人たち。日本人移民がニューカレドニアにいたことを、今回はじめて知りました。

 ニッケル産業は今では最盛期の賑わいはないものの、途切れることなく続いています。ボタメールのビーチは、「ニッケル鉱山博物館」で見た100年ほど前の写真と地形が変わっておらず、今も沖にはニッケルの積み下ろしをするタンカーが停泊しています。

 かつてはビーチのすぐ近くにニッケルを運ぶための鉄道の駅もあったそうで、波打ち際から数メートル先の水深15メートル付近には2隻の輸送船も沈んでいるとか。水辺には人の行き来も喧噪もなく、穏やかに波が打ち寄せています。

2024.02.24(土)
文・撮影=古関千恵子