この記事の連載

 日本ほど、外国料理をありがたがる国はない! 博覧強記の料理人で、南インド料理の名店「エリックサウス」オーナーの稲田俊輔が、中華・フレンチ・イタリアンをはじめとする「異国の味」がどのように日本で受け入れられてきたかを記すエッセイ『異国の味』(集英社)。その一部を抜粋・編集し紹介する。


「ウチをスパゲッティ屋だとカン違いしてる」

 全体として見れば90年代以降、日本人のライフスタイルにスルスルッと入り込んでいったイタリア料理ですが、細かく見ていくと、そこにはちょっとした軋轢も少なくなかったように思います。

 巷では既に繁華街のみならず郊外にもイタリアンレストランが一通り立ち並ぶようになった、2000年前後のエピソードを少しご紹介します。場所はとある中規模な地方都市。なので当時の東京とは少し状況が異なっていたかもしれませんが、これが日本の大部分である地方都市のリアルな姿だったのではないかと、今となっては思います。

 当時僕はその街で、友人と小さな居酒屋を営んでいました。居酒屋ですから和食が中心の店ではありましたが、自由の利く小規模店だったのをいいことに、自分たちの興味の赴くままにエスニックや欧風料理にも本気で手を広げました。

 焼酎も並べるけどワインセラーも置くというカオスなその店は、自分で言うのもなんですがなかなか面白い店で、深夜まで営業していたこともあって、日付が変わるあたりの時間帯は若い同業者の溜まり場のようになっていました。

 バーテンダーや板前、洋食屋のマスターや居酒屋の若い子たちが毎夜ずらりと並ぶカウンターには、その頃急激に増えていたイタリアンのシェフやスタッフも少なくありませんでした。そういう場ですから、そこでの会話は、業界の情報交換と共に「お客さんの愚痴」も重要な話題でした。他所では絶対に言えないような愚痴も、そこでは毎夜のように飛び交っていたのです。

 その中でイタリアンの人々の愚痴は、ある種の定番ネタばかりでした。つまりそれは要約すると、

「客は味のわからんやつばかりで、注文の仕方すら知らない」

 というものです。そしてその言外には、

「ここは田舎だから自分たちのような店は理解されにくい。都会だったら正当に扱われるはずなのに」

 という、少々都合の良い見立てが加わっている印象もありました。

 そんなふうに語られるイタリアンならではの愚痴の定番が、主に若いカップルに対するそれでした。

「ウチの店をスパゲッティ屋かなんかだと勘違いして来るんだよ」

 と、彼らは苦々しげに言うのです。

「二人でひとつずつパスタを注文して、それ以外はせいぜいシーザーサラダをシェアするくらい。ワインなんてとんでもない。その後デザートを注文してくれるのは良い方で、一緒にコーヒーを薦めたら『付いてくるんですか?』って」

 提供する料理そのものに関する愚痴もありました。

「ちゃんとしたパスタを出そうと思っても、クリームをしっかり煮詰めたらクドいって言われ、本場風のカルボナーラはこれはカルボナーラじゃないって言われ、メニューに無いペペロンチーノ作れって言われるから作ったら味がしないって言われ、とにかくホンモノは通用しないんだよ、この辺りの田舎じゃ」

2024.02.11(日)
著者=稲田俊輔