神奈川県横浜市の中で最も東に位置している「鶴見区」。鶴見駅は京浜東北線で川崎から1駅、蒲田から2駅、横浜からは3駅。東京在住の人と横浜在住の人がちょっとした異国体験をするにはちょうどいい場所です。蒲田や川崎、鶴見は市こそ違うけれど、気取らない下町の雰囲気が似ています。

 そんな鶴見は、知る人ぞ知る“沖縄タウン”であり“南米タウン”で、沖縄料理屋と南米料理屋が集まっています。そこには歴史的な背景があるのです。

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大衆食堂や焼き鳥屋が軒を連ねる鶴見駅前

 まずは簡単に、鶴見の“異国飯”について。横浜といえば中華街や山手町などが異国情緒に溢れているイメージですが、鶴見区は横浜市のなかで中区に次いで、外国人在住者数が多い地域です。

 鶴見駅を降りると大衆食堂や焼き鳥屋など格安な店が多く、ちゃんこ鍋系の店もちらほら。そして駅前には異国飯屋も充実しています。韓国家庭料理の「ドトリ」「うしくら」、「蓬莱春飯店」などのガチ中華、それにタイやネパール、ベトナム料理屋もあり、バリエーションも豊かです。

鶴見に沖縄出身者が多い歴史的背景

 さて、ここで鶴見に南米料理屋と沖縄料理屋が増えた歴史的背景を紹介します。仲通りにある「おきなわ物産センター」で売られていた、鶴見沖縄県人会での聞き取りをまとめた書籍『おきつるコミュニティQ&A』(佐藤冬樹著)によれば、1990年頃、鶴見には1万3000人の沖縄出身者とその子弟がいて「その多くが沖縄北部の国頭出身」だったそうです。

 また、「80年代半ばから数千人もの南米移民とその子弟が鶴見に移住」したそうなのですが、その人たちは、沖縄からブラジル、ペルー、ボリビアに移民したあとに鶴見にやってきた“沖縄系南米人”の人々の割合がとても高いそうです。

 その“沖縄系南米人”の人々は、1952~1953年頃に「沖縄からペルーやブラジルに移民した人とその子弟」で、「沖縄語と向こうの言葉がわかるけれど標準語はわからない(中略)。本当の昔ながらの沖縄語を話したんだ。そうそう今の沖縄本島のどこを探してもない本物の沖縄語は、ブラジルとかペルーにしか残っていない」と紹介しています。

2024.02.02(金)
文=山谷剛史