ただし天皇に入内(3)した女たちの名前はわかっていて、たとえば一条天皇の后である定子や彰子というのがその名である。皇后の例からみると子のつく名前が主流であったように想像されるが、たとえば『源氏物語』で玉鬘と通称される女君は藤原瑠璃という名だと書かれており、瑠璃という名もあったようである。

 ただし現在でも漢字の名をどのように読ませるかにはさまざまな可能性があるように、定子、彰子などの漢字名をどのように読んだかはわかっていない。いずれにせよ女たちの名が実際にどういうものであったのかについては不明な点が多い。

物語の作者

 少なくとも『源氏物語』の作者は紫式部だと確定しているが、そのようにして物語の作者が明らかになっている例は非常に少ない。どうやら物語を読む側は、それが誰によって書かれた作品かということをほとんど重視していなかったようである。かぐや姫の物語である『竹取物語』の作者も継子いじめを描いた『落窪物語』も、多くの女性読者を魅了したらしい『夜の寝覚』も作者が誰だかわかっていない。

 ではなぜ紫式部が『源氏物語』の作者だとわかるかというと、紫式部は別に『紫式部日記』と呼ばれる日記を残しているからである。一条天皇が『源氏物語』を読み聞かせられたとき、「この人は日本紀をこそ読みたるべけれ。真に才あるべし」(この人は『日本書紀』などの歴史書を読んでいるにちがいない。たいそう学識があるようだね)と言ったので、意地悪な女房に、あの人は学識をひけらかしていると吹聴されて「日本紀の御局」とあだ名をつけられたと書いてある。紫式部は、実家でだって学識をひけらかすようなことはしていないのに、ましてや宮中でそんなことをするはずがないじゃないかと自らの憤りも書きつけている。

 もともと『紫式部日記』は、日記といっても紫式部個人の雑感を書くようなものではなく、紫式部が仕えた一条天皇后の彰子の皇子出産を記録する目的で書かれたものらしい。ともあれ日記作品が残されたことで、『源氏物語』のような架空の登場人物によるフィクションでは知り得ない作者自身の声を知ることができるわけである。

2024.01.12(金)