朝ドラの「お母ちゃん」をふりかえる

 朝ドラヒロインの母親像というと、いつも明るい笑顔と、どっしりとした愛情で包んでくれる「家族第一主義の良妻賢母」のイメージが強いかもしれない。しかし、「母だって人間なのだ、ひとりの女性なのだ」という題目は、朝ドラ62年史の中で意外と早くから描かれていた。そして、良妻賢母だけではない、母が持つ「毒」の部分も、いろんな朝ドラですでに描かれている。ここで少し、「“聖母”ではない朝ドラのお母ちゃん史」を振り返ってみたい。

 

「母だってひとりの女性」の草分けとなったのは、今から34年前の『青春家族』(1989年)ではないかと筆者は考える。この朝ドラは母・麻子(いしだあゆみ)と娘・咲(清水美砂)でWヒロインという、前例のない形式をとって話題となった。キャリアウーマンの麻子と漫画家志望の咲はいわゆる「友達母娘」。リビングで互いの恋愛やセックスについてざっくばらんに話し合う母娘のシーンが視聴者の度肝を抜いた。「母だってキャリアを優先したいし、家庭人である前にひとりの人間でありたい」という、母親サイドの「属性からの解放」を叫んだ挑戦作だった。

母親のモラトリアム期を描く

『ひらり』(1992年)でひらり(石田ひかり)の母・ゆき子(伊東ゆかり)は結婚以来ずっと専業主婦だったが、ある時ふと自分の生き方に疑問を持ち、マンションを借りて自分史を書き始めるという「迷走する母親」。母親のモラトリアム期を描く朝ドラは珍しい。

『ふたりっ子』(1996年)は双子のヒロインの子役時代をつとめた三倉茉奈・佳奈の愛くるしさから人気に火がついた朝ドラだが、実は随所に人間の業やエゴを忍ばせた意欲作。中でもヒロインの母・千有希(手塚理美)が見せた「女の業」が目を引いた。演歌歌手・オーロラ輝子(河合美智子)と駆け落ちした夫・光一(段田安則)に対する千有希の執着がヒリつく筆致で描き込まれ、しかし最後には、夫婦の関係を再構築していく姿が描かれた。

2023.12.01(金)
文=佐野華英