どちらの歌にも、賛美歌が色濃く影を落としていることは明らかだろう。

「生まれ来る子供たちのために」のなかの“あのひと”とは、キリストが思い浮かぶ。同時に、ここに貫かれているのは、若者らしい世界への危機感であり、国の政治への懐疑であり、とりわけ「キリストは来ないだろう」には悔いや絶望感が強い。それが「生まれ来る子供たちのために」では、祈りの歌になっている。

 26歳の歌に対する31歳の返歌。

 バンド音楽を追求している時期でありながら、この曲だけは、例外的にピアノで静かに聴かせる曲であることからも、「こういう歌をつくりたかったんだ」という小田の強い想いが感じられる。2020年の時点で、小田はこんな風に語った。

 

「『生まれ来る子供たちのために』をシングルで出せるんだとなったときが、一番うれしかったかもしれない。70年代前半の歌は誰も聴いてくれなかった。だからこそ、『生まれ来る子供たちのために』は、やっとのヒットの直後に正面勝負しないといけない曲だった。俺の発想の原点は常に、『この国はこのままではダメだ』という思い、危機感というか、そういう意識ばっかりだった。自分のなかでは全然背伸びしていないんだ。ただ、あの曲が何かに貢献したかというと、とくに売れず、当時、反響は何もなかった」

のちに「発見された曲」だった

「生まれ来る子供たちのために」が現在のように広く知られ、高い評価を受けるようになった契機は、ここから約20年たった1999年、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によって難民救済活動への支援を訴えるCMとして使われ、テレビで流れるようになったことだった。さらに後年、何人かのアーティストにカバーされたりもした。つまりこの歌は、のちに「発見された曲」なのである。小田には、ほかにも、このように「発見された曲」がある。ちなみに「生まれ来る子供たちのために」は、いまもUNHCRに無償提供され、ホームページなどで使われている。

2023.11.27(月)
著者=追分日出子