「あの時は1日で書き直して翌日には歌ったけど、いまは明日までに書き直さなくてはと言われたら、諦めるだろうな。それが可能だったのは、体力もあったからだろうし、野心だってあったからかもしれない。でもこれが書けた時、これ、売れるなと俺も思ったね。でも、あれもどこか自分じゃないみたいなところがあった。演じているなと思った曲だね」
「これでようやく売れると…」
「さよなら」にまつわる武藤の記憶はこんなだった。
「ハッピーエンドの詞を書いていると聞いていたけど、別れる詞にしたいから1日延ばしたいと言ってきたんです。彼が狙ってつくった詞ですね。最初に聴いたとき、売れると思いました。冒頭に♪僕らは自由だね♪というフレーズがありますが、『自由』という言葉は当時まだ歌には使われていなかったですからね。僕はそこがいいなあと思いました」
大間(※2)の記憶も書いておこう。
「ギターの間奏も入れて、いよいよ歌入れだとなって、♪もう終わりだね♪という最初の歌詞を小田さんが歌った時、僕はほんとに鳥肌が立ってね。これでようやく売れると思ったの。小田さんの歌というのは、そういうことが何回かあって、小田マジックというか、歌詞の力と声、『さよなら』の時がまさにそうだったけど、いまでもすごいなあと思いますよ」
(※2)大間ジロー/1979年、ドラマーとしてオフコースに加入
ヒット曲に対する屈折した想い
「さよなら」のレコーディングは1979年10月末。リリースされたのは、12月1日だった。
この年10月16日から全国ツアー「Three and Two」が始まっていた。全国48カ所、57公演。翌年2月5日までの予定だった。正月明け、そのツアー中、仙台で乗ったタクシーの中で、カーラジオから「大ヒット中の」とDJに紹介されて流れた「さよなら」を小田は聴いた。「ヒットするというのは、こういうことか」、その時の車窓から見た仙台の町とタクシーの中に響き渡った自分の歌声が、初めてのヒットの風景となって小田の記憶のなかに沈殿した。
2023.11.27(月)
著者=追分日出子