ちなみに、「さよなら」は、どのオリジナルアルバムにも入っていない。そこに小田の「さよなら」に対する屈折した想いがあるように思われる。売れて安堵したが、本当に自分のつくりたい楽曲ではなかったという想いである。
レコード会社は、ヒットした「さよなら」の次のシングルに“2匹目のドジョウ”、つまり似たようなラブソングを要求した。しかし小田は、こういう時こそ、自分が本当に作りたかった歌、誇れる歌を次のシングルにしたいと思いつめた。それが前のアルバム「Three and Two」に収録されていた「生まれ来る子供たちのために」だった。そもそも秋からのコンサートツアー「Three and Two」においても、ラストの曲は「生まれ来る子供たちのために」だった。小田にとって、この曲が如何に特別に愛着のある曲だったかがわかる。
「『さよなら』は、俺が本当に作りたい曲じゃないと、違うと思っていたんだろうね。俺は、言い訳したかったんじゃないかな、たぶん。あのころは、いつも訴えたかったんだね」
小田和正の奇襲作戦
小田が行動に移したのはツアー最終日前日の1980年2月4日。決定したのは3日後の2月7日。かなりの奇襲作戦だった。
小田は武藤に相談し、武藤は「まかせろ」と言った。武藤の話。
「僕が別のレコーディングをしていた時、小田君がスタジオにやって来て、次にこの曲を出したいんだと訴えたんです。そこで僕は、それを正当化するために、営業の人間と組んで、嘘っぱちのご託を並べて、これを通しました。当時、あの曲をシングルにするというのもすごいことだけど、30年以上たっても、あの歌が歌われる、使われるというのもスゴいよね」
「生まれ来る子供たちのために」は、不思議な歌だ。小田自らが弾くピアノの伴奏で気高く歌われるこの歌は、まさに「祈り」に聴こえる。
この歌は、どこから生まれたのだろうか。
自分自身のアンサーソング
思い浮かぶのは、先に少し触れたが、1974年10月に、小田がシングル候補として作ったが、レコード化されることのなかった「キリストは来ないだろう」である。いまこの曲を聴くことができるのは、その直後に催されたコンサートのライブ盤のみである。「生まれ来る子供たちのために」は、この日の目を見なかった曲に対する小田自身のアンサー曲なのではないか。
2023.11.27(月)
著者=追分日出子