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大滝さんとの接点を探していたら……

「それが、ぼくと大滝さんで作った最初の曲『12月の雨の日』。最初は『雨あがり』というタイトルで、詞も少し違っていたんだ。初期バージョンは何度かライブで演奏したことがあったと思う。その後、レコーディングまでに(注:ファーストアルバムのレコーディングを行ったのは1970年4月)少しずつアップデートしていって、最終的にタイトルも『12月の雨の日』に変更したんだ」

水の匂いが眩しい通りに
雨に憑れたひとが行き交う
雨あがりの街に風がふいに立る
流れる人波をぼくはみている
ぼくはみている
雨に病んだ飢いたこころと
凍てついた空を街翳が縁どる

「12月の雨の日」はっぴいえんど
(作詞:松本隆 作曲:大瀧詠一)

 実は、「雨あがり」を書いた夜、松本さんは詞をもう1篇、大滝さんに託している。「春よ来い」だ。

「あのときは、大滝さんと出会ったばかりで、正直、部屋へ遊びに行ったところで、音楽のこと以外、何を話せばいいのかよくわからなかった。ぼくは東京で生まれ育ったけれど、大滝さんは岩手県出身。ぼくの大好きな宮沢賢治も岩手の人だけど、そんな話をしても盛り上がらないなと思ったし、かといって、大滝さんの好きな野球や相撲についてぼくは詳しくない。

 ほかに何か接点はないかと、コタツに入って部屋を見渡していたら、永島慎二の漫画が畳の上に転がってたんだ。『漫画家残酷物語』。これだ、と。『大滝さん、永島慎二が好きなの?』『好きだねえ』って。これはぼくの持論だけど、漫画の趣味が合えば、仲良くなれるものなんだ」

 当時、漫画はカルチャーの最先端を走っていた。中でも漫画雑誌『ガロ』に掲載されていた漫画家たちの作品に松本さんは心酔、大滝さんも「ケント紙と烏口は買ったくち」というほど魅せられていたという。

2023.11.28(火)
文=辛島いづみ
撮影=平松市聖