「お客様がおいしい・うまいといってくれるかがバロメーターなんです。上司(ボス)が部下においしいから川村屋にきているんだと言ってもらえるような店を目指しました。そうした思いは7代目にしっかりと引き継いでいます」
「うまいつゆ」を目指して改革実行
笠原さんは1988年から川村屋の仕事に携わるようになったという。35歳の時である。それまでは大手商社でバリバリに働いていた。しかし、ちょう度その頃、横浜博覧会の開催に伴い駅舎は移転し新駅になることが決まった。それに伴い川村屋に廃業の危機が訪れる。その対応に笠原さんは奔走することになった。JRの各部署と精力的かつ断続的にほぼ1人で交渉を行った。そして、横浜博覧会の開催期間は50平方メートルの店なら継続してもよいという成果をようやく勝ち取ったのだ。その結果、「川村屋」はレストランをやめ立ち食いそばうどん専業(一部ミルクスタンドや青汁は継続)となったという。
そして、旧店舗が取り壊されて次の店舗に移る間の1か月間で、笠原さんはそば専業であるためには何が必要かを製麺屋、出汁屋、醤油メーカー、総菜屋を集めて今後の味のコンセプトを作り上げたという。それまで勤めていたお母さんやお姉さんに協力してもらい、「つゆの香りがふわっと立つような味、1つの食事として満足してもらえる味を決めていった」という。つまり「うまいつゆの店」にすることに注力したわけである。
そして、効率的につゆの味が整う出汁の取り方を見出した。さらに素早い提供、綺麗で清潔感のある店内、陶器の器、ガラス製のコップなど細部にも徹底的にこだわってまるで新しい店を作るような改革を行ったというのだ。すごいパワーと根性の持ち主である。
「閉店宣言」の理由
そんな6代目笠原さんが、今年3月末に閉店すると宣言するに至った理由はなかなか深い。3つの理由があるようだ。
まず1つ目は高齢化である。「35歳の時からガムシャラに働いて、味を向上させて、『桜木町に川村屋あり』と言われるようになりました。そして気が付いたら自分も従業員もいい年齢になっていました」としみじみと語る。3月末の閉店前、店頭に貼られた「閉店のお知らせ」には次のように記載されていた。
2023.10.12(木)
文=坂崎仁紀