眞人が異世界で遭遇する「墓の門」に「我ヲ學ブ者ハ死ス」とあるのも示唆的だ。近代国家が大規模な戦争を遂行するには、自分や家族の命運と国家の命運を同一視し、国家のためには命も捨てる「ナショナリズム」という一種の宗教を人々の心に根づかせる必要がある。ナショナリズムの特徴は、身内の国民1人ひとりを平等に扱う普遍主義と、「我々国民とそれ以外の彼ら」とを峻別する特殊主義との併存にある。
それは「我々」と「彼ら」との間の悪意を育て上げ、戦争の温床ともなる。あの世界の「石の墓」の中には、ナショナリズムの犠牲になった人々の悪意と怨念が渦巻いており、それに触れる者は自らもナショナリズムに呪縛され、死への宿命を背負うことになるのを暗示しているのではないか。
漫画版「ナウシカ」と響き合う
眞人と大叔父が初めて会ったのは、満天の星の中、流星が落ち続ける平原だった。この場面を見て、「ハウルの動く城」で子ども時代のハウルが流星を飲み込み、胸から火に包まれた心臓=カルシファーを取り出す美しいシーンを思い出す人も多いだろう。宮﨑駿の世界では流星と心臓は等価な存在であり、共に「魂」の象徴なのだ。宮﨑駿は少年時代から「流れ星が庭に落ちて光をまき散らし、手に取ると曇りガラスの破片になってしまう」というイメージを抱いてきたという。
おそらく、現実世界の戦争で亡くなった人々の魂は、あの異世界に「流れ星」としてやってきて、光=魂を解き放った後は石になる。石の中には戦争とナショナリズムで不本意な死を強いられた人々の悪意が宿っており、完全に浄化することはできない。少女時代の眞人の母親であるヒミが、石を拾おうとする眞人に対して「さわらない方がいい。まだ何か残っているから」と告げるのも、それに対する警告と思える。
大叔父が世界を維持するために積み上げ、懸命にバランスを取ろうとしている積み木のような石たちも、何らかの理由で選ばれた「元は流星だった魂の抜け殻の石」を加工したものであり、だからこそ眞人が「墓と同じ石です。悪意があります」と指摘したように、悪意から逃れられないのだろう。
2023.10.10(火)
文=太田 啓之