巴水があくことなく描き続けた日本の四季、時刻の表情
スタートこそ遅かったものの、まず岡田三郎助に洋画を、それに満足できず鏑木清方に日本画を学んだ巴水は、伊東深水が渡邊と組んで発表し、従来の風景版画のイメージを大胆に破ってみせた《近江八景》に触れたことが転機となり、版画家を志した。そして《近江八景》の刊行と同じ1918年(大正7年)のうちに、渡邊の下からデビュー作となる塩原三部作を刊行する。
それから間もない1923年(大正12年)、関東大震災によって渡邊は店そのものから研究用の古版画まで一切を失い、巴水もまた初期の版木や写生帖などを焼失してしまう。しかし74歳で亡くなるその時まで制作に励んだ巴水の木版画は、現在も600点以上が残っており、今展ではその中から、版画作品が252点、他に下絵や写生帖など、総数300点以上が出品。現在も銀座で営業を続ける渡邊木版美術画舗の全面協力によって、原画、さらに複数のパターンの試摺など、完成にいたるまでのプロセスを確認することもできる。
中でも感銘を受けるのは、初期の作品群だ。歌川広重や葛飾北斎の影響が濃厚に感じられる大胆な構図の中に、江戸の浮世絵にはなかったゴマ摺り(バレンが円を描く軌跡をあえて残す、渡邊版独自の手法)を用いたり、もののかたちも判然としないほど暗く、だからこそ灯る光に恋しさを感じるような、冒険的な夜景を描いたり、版元と共に新たな版画芸術を作り出そうとする巴水の意気込みと情熱が、率直に伝わってくる。
2013.12.28(土)