『こんなに細かいところまでテレビには映らないから、手を抜いてもいいんじゃないか』という考え方もあると思います。けれど、『らんまん』に携わるスタッフは、この作品を面白いと思ってくれて、この作品を素晴らしいものにして視聴者の方々に届けたいと願っている。『そこで手を抜くのは恥ずかしいことだ』と思えるモチベーションを、みんなが保ってくれているのを感じます」

母・ヒサの「見えんでも、おる」という台詞に込めた思い

 本作のこうした、細かすぎて物理的に「見えない」ものへのこだわりには目を見張るが、観念的な「見えないもの」の描写も白眉だ。

 

 第1週「バイカオウレン」で、余命いくばくもない母・ヒサ(広末涼子)が万太郎に遺した「見えんでも、おる」という言葉。その言霊に導かれるように、このドラマには「思い」や「志」などの、目には見えないが確かに存在し、そして「引き継がれていくもの」がくっきりと現れている。

 この「見えんでも、おる」というヒサの台詞は、渡邊氏のアイデアから生まれたという。

「僕が2010年にチーフ演出を担当した『ゲゲゲの女房』でも『見えんけど、おる』という言葉が使われていて、それと似ているんですが、『ゲゲゲ~』のときは、妖怪など、見えないものの存在価値をどう考えるか、というのがテーマでした。

 対して『らんまん』は植物の話なので、対象物がはっきりしている。だから今回はそれをどう観察して、どういうふうに世の人たちに見せることができるか、ということを考えました。同時に、それが万太郎の仕事であり、やりたいことでもあります。

 植物という対象物に映る『気持ち』とか『心情』とか、あるいは第1週で言うと『思い』。それらは見えないけれど、でもその『思い』がいつか何かの形で結実するという話になるから、『見える』。その『背景』にあるのが何なのか、ということをドラマとして描かないといけない。ただ単に植物を見つけて、研究して、発表して……というだけのドラマでは、見ていて面白くないですよね」

2023.08.12(土)
文=佐野華英