昔、「◯◯ママ」という子ども主体の呼び方でなく、母親の下の名前で呼び合おうみたいなブームが保育園であった時もちょっと戸惑って。“ママ”の枠の中でひっそりとセットアップを着ていたかっただけで、私自身は個人を主張したいことなんてなかったんです。
安住アナとの意外な“共通点”
――アナウンサーは個性的な方が多いように思っていました。
堀井 アナウンサーに限らず、TBSの中には何カ国語も操れる人や東大の大学院を経て入社した人とか、本当に優秀な人が多かったですし、著名な方のお子さんとかもいたので、この場所は私の居場所じゃないな、とは思っていましたね。
――自分の居場所ではないと感じながらも、27年間働けた理由はなんでしょう。
堀井 秋田出身のなにも知らない人が何かの手違いで紛れ込んじゃったんだろうな、と理解していました(笑)。もちろん周りを敵だと思ったことは一度もなかったですし、コンプレックスを持つわけでもなかった。それはやっぱり、みんないい人たちばかりだったからでしょうね。
――特に安住紳一郎アナウンサーのことは、「彼を超えるアナウンサーは今後出てこない」と語るなど、高く評価されています。
堀井 安住さんは入社当時から違いましたよね。全然物怖じしないし、ものすごく勉強家ですし。だけど、本番ではそういった努力の影をまったく感じさせず、スラーッとこなしてしまう。
安住さんも私も地方出身で浪人してきてるから、同じほの暗さを嗅ぎ取ってくれたのか、仲良くしてもらいました(笑)。
――堀井さんが入社された1995年は、バラエティ番組で女子アナが活躍し、脚光を浴びているような時代でした。
堀井 女子アナアイドル時代の終焉くらいの時期でしたね。私も運のいいことにバラエティ番組の中で使ってもらっていたんですけど、「たぶんこれ、長くないだろうな」というのはかなり早い段階から感じていました。
――それは、社会の風潮的なことですか?
2023.08.08(火)
文=小泉なつみ