「いや、そ、そんなことは決して」
と吃って、ひたすら恐縮しているのでしたが、そんな時に、「いや、実はそうでした」などという正直者の編集者はまずどこを探してもいないでしょうね。
そうして私の作家活動は終止符を打ったわけですよ。あの「締切」に追われるというやつ、あれは本当に寿命を縮めます。Kさんのような温和で寡黙な人は、一言も何もいいませんでしたが、いわれなくてもこちらとしては、頭の中でひねもす勝手に「締切締切」とひそひそ声が呟いているのです。こう見えても私は律儀なタチで、一旦とり決めたことは不眠不休で守らねばならぬ、という決意を持っているもので、およそ五十年か六十年を、「締切」に呪縛されて生きて来たといってもいいくらいなのです。
作家の中には締切無視をしても一向に寿命の縮まらない野坂昭如さんのような大人物もいましたが、私はこう見えて小心者なのです。
昭和何年頃だったか忘れましたが、毎日新聞に野坂さんが連載小説を書いていて、同時に私は雑文を連載していたことがあります。ファクシミリなんて結構なものがない時代でしたから、たいていの雑誌社、新聞社は担当かオートバイに乗ったお使いさんが原稿を受け取りに来ていました。
その時の私の担当記者は朝比奈くんという青年で、彼は野坂さんの担当でもありました。野坂さんといえば都合が悪くなるとすぐに姿をくらますので有名でした。どの出版社の人も野坂さんには手を焼いていましたが、雑誌と違って新聞は毎日のことで、しかも野坂さんの小説は夕刊の連載でしたから、朝比奈くんの苦労は筆舌に盡し難いものだったと思います。
私の家の玄関につっ立っている朝比奈くんが、
「掴まらないんです。奥さんにもわからない。どこにもいないんです。今日の夕刊の原稿なんです……」
といって、殆ど涙目になっていた姿は、九十八歳の呆けた私の頭にもありありと残っています。せめてもの慰めに、と私は貰い物の清酒を進呈して激励したのでしたが、朝比奈くんにしてみれば、「酒どころか!」という気持だったでしょう。
2023.07.07(金)