家で「料理担当」をしている方で、どんなにクタクタに疲れていても、できる限り、食卓には手料理を並べたいという人、結構多いのではないでしょうか。

 外食やお弁当が続くと、どうにも罪悪感を感じてしまう……そんな人にこそ手にとってほしいのが、連載「のっけて、食べる」でおなじみのフードライター、白央篤司さんによるエッセイ&レシピ集『台所をひらく』(大和書房)です。料理の「こうあるべき」から、自分を解放するヒントが惜しみなく詰まっていて、読後は晴れ晴れとした気分に。

 著書の中から、「食材をダメにしてしまう」モヤモヤがスッキリする、目から鱗の「冷蔵庫の使い方」を抜粋してお届けします。


ひとり抱えがちなフードロスの罪悪感は…

「言いにくいことなんだけどね……」

 友人の料理家がある日、独り言のように語りはじめた。

「食べものを粗末にするのはそりゃあっちゃならないこと。だけど、家で毎日料理していて、絶対に食材を無駄にしないって、出来るのかな。みんな何かしら使い切れず、食べ切れず、申し訳ない気持ちになりながら、こそっと捨てて生きてるんじゃないのか、ってよく思うんだよね」

 ああ、こういう話をシェアできる友人はありがたいな、と思いつつ聞いていた。料理教室の生徒さんが食材をうまく使い切れず、何かしらを無駄にしてしまいがちで、悩んでいるのだという。

「みんな多少なりやってることだと思うよ、とは伝えるんだけどね。そんなに気にしないでって、大っぴらには言いにくいし」

 あるときなぜかショッピングバッグから牛乳を取り出すのだけ忘れてしまい、気づいたら翌日だったことがある。見つけてしばらく、硬直してしまった。排水溝に流すときの後ろめたさはまだ心に残っている。あの時間の妙な長さ。その日の午後、取材で出かけたとき電車の対面に座った人のバッグが牛柄だったのには、まいった。

 冷蔵庫の上の段は腐りにくいもの、瓶詰、飲料缶など。足の早いもの、明後日ぐらいまでに食べ切りたいものは冷蔵庫のすぐ目につくところ、保存容器は必ず透明で中身が見えやすいものを選ぶ……工夫はしているけれど、たまに私も食材や料理を無駄にしてしまう。

 気づいたとき、私の中の自分が白い目で私をにらんでくる。匂いを嗅いで大丈夫とは思っても作った日付を思い出して考えるときのあの微妙な気持ち。捨てる決心をするときの心の「よいしょ」という踏ん切り。生ごみ用のケースのフタを閉めるときの、小さな声が聞こえるような感じ。いやなものだ。料理する日々の折々で生じる、罪悪感。

 先の友人が言っていた「大っぴらには言いにくい」というのがまさにそれだが、しょうがないのだ。フードロスを肯定しちゃいけないけれど、なるべくミスとロスを少なくするよう努めていくしかない。「またやっちゃった……」というときは自分の迂闊さを恥じつつ、悪くしてしまった料理に詫びつつ、それでも作っていくしかない。大事なのは、無駄にすることに慣れてしまわないこと。

2023.06.07(水)
文=白央篤司