これはミッキー・スピレインの小説と関係して出てくる。スピレインは「肌が合わなくて、過去二、三冊しか読んでいない」、『裁くのは俺だ』も読んでいなくて初めて読んだのだが、「読み終わった感想はというと、ハメットからチャンドラー、マクドナルドとつづく正統ハードボイルドはマクドナルドで終わっているという日ごろの感想を確かめたにとどまる」といって、「世界から詩を汲み上げる心情」云々とハードボイルド論を披瀝する。そして「自前の解釈から言うと、マイク・ハマーものは詩と人間洞察の深みを欠いている。あるのは肥大化した憎悪と暴力だけで、言うまでもなく、何でもかでも殺せばハードボイルドになるというものではないのだ」と厳しい。だがしかし、「おれは溝(どぶ)のなかから拾われた。おれがあとに残したものは夜だけで、その夜も残り少なだった」という書き出しで始まる『ガールハンター』を引くまでもなく、子細に読んでいけば、スピレインもまた「世界から詩を汲み上げる」抒情的作家であることがわかるのだが、ただハードボイルド御三家と比べたら深みを欠いているかもしれない。

 話をさきにもどせば、ホーリーの短篇集がとくに素晴しいのは、まさに藤沢周平の言う「世界から詩を汲み上げる心情と深い人間洞察の眼、それと主人公のシニカルな心的構造が釣合って一篇のハードボイルドが誕生」しているからである。「何でもかでも殺せばハードボイルドになる」ものではないけれど、ハンナ・ティンティは、一ダースもの銃弾を体に食らい、ときに殺人も辞さなかったならず者のホーリーの肖像を雄々しくも繊細に捉えて、だれもが共感をよぶヒーロー像に仕立てている。それは妻のリリーが、娘のルーが、そして祖母のメイベルが生き生きと存在するからでもある。藤沢周平が生きていて、本書を読めば、ルース・レンデルやグレアム・グリーンの新作を称賛したように、かならずや大絶賛していたであろう。そしてアメリカン・ハードボイルドの影響をうけて『消えた女』を書き、グリーンの『ヒューマン・ファクター』に感化されて『海鳴り』を書いたように、本書にインスパイアされて傑作を書き上げていたに違いない。ハードボイルドでありながら、藤沢の好きなグリーンのような純文学的な奥行きと豊かさをもつからだ。

2023.06.05(月)
文=池上 冬樹(文芸評論家)