そして過去を「思い出す」のではなく「見る」と表現する明子の記憶との関わり方はいかにも姫野カオルコ的である。幼少期の記憶をテーマにした短編集『ちがうもん』(文春文庫)のあとがきに「私は二、三歳のときに住んでいた家の便所の戸のペンキの色や塗りムラや把手(とつて)のかたちをはっきりとおぼえて」いて、その記憶の明瞭さを「おそろしい」とまで表現している。心に焼き付けられた記憶だと。なるほど『ちがうもん』に収録されている小説は、子供ながらの視野の狭さ、知識の乏しさから来る勘違いも含めて、きわめて鮮明に描かれている。大人から見た子供ではなく、子供から見た大人が「たしかにこうだった」とこちらの記憶まで呼び起こされるほどに。

『青春とは、』は『ちがうもん』よりも主人公の年齢が上がっているため、当時の明子自身も冷静に環境に対応している。しかし、視野が広がっているからこそ、自分がいまいる場所が自分を幸福にしているのかという疑問が生じている。

 そこで、この小説のもう一つの重要な場所「家」が浮かび上がる。明子いわく「暗家(クラケ)」。「わが家は厳しくない。たんに暗い」。明子は両親が年がいってから生まれた子供で一人っ子。夫婦仲は悪い。父を頂点とした家のルールが厳然として存在し、「小隊化した空間」がつくられている。それは周囲の同世代の子供が育った、戦後民主主義の「子供に甘い」家庭とは大きく異なっていた。ゆえに彼女にとってほかの家庭、民主主義的家庭で育った同級生とは相当な齟齬がある。明子がこの「家」とは別の場所、呼吸のしやすい場所として虎水高校という場を得られたのは幸福であった。

 姫野カオルコは鋭敏な作家である。『青春とは、』の文章のリズムはゆっくりとなめらかで表現はやわらかく、するすると読めるが、その底流にはささいなことをも見逃さない視線がある。恐るべき傑作『彼女は頭が悪いから』でも、淡々とした語り口の中に狙った獲物を逃さないスナイパーのような眼光鋭い観察眼があり、読者の肺腑をえぐった。『青春とは、』は吹き出してしまうようなユーモラスな描写をたびたび交えながら、やはり当時の(そしていまも?)男尊女卑文化に対する異物感を、さりげなく、しかし、青い炎のごとき静かな炎で燃やしている。

2023.05.30(火)
文=タカザワ ケンジ(ライター)