僕だけが問題視しているお笑い観みたいなものですから、誰にも相談できなくなっちゃって。勝手に孤独になっていました。
結成3年でコンビ解散
――ほしのさんは、NSC卒業後、「カーディガン」を結成し、約3年活動します。相方さんは、病気のことは知っていたのですか?
ほしの 知っておいてもらった方がいいと思い、伝えていました。とはいえ、お互い話し合っても糸口が見つからないというか、生かす手段も思いつかなかったです。笑いを取るという技術もなかったので、何が正解かわからないまま3年が過ぎ、ようやく少しだけ笑いが取れるようになった頃に解散になってしまいました。
――現在の「パーパー」では、基本的にほしのさんが、あいなぷぅさんからダメ出しをされる、理不尽な要求をされる、バカにされるという構図があると思います。「カーディガン」時代というのは?
ほしの いわゆるボケとツッコミみたいな感じで、今とは全然違いました。いろいろ試した結果、最終的に行き着いたのが、ちょっと陰湿というか、腹黒さみたいなものを利かせたニッチな笑い。
意外と自分に合ったので、そういうニュアンスを取り入れて、少しずつ笑いが作れるようになった矢先に解散することに……。解散したときは、誰も組む人がいないし、結果も何も出していない。誰も自分なんかと組んでくれないって思っていたのでつらかったですね(苦笑)。
マイナスなこともすべて笑いに
――そうしたほしのさんのNSC時代もつまびらかにされている『星屑物語』ですが、私個人が驚いたのは、八方ふさがりの状況にもかかわらず、芸人を続けようとするほしのさんの意思の強さです。なぜ、踏みとどまることができたのでしょうか。
ほしの 辞めたいという気持ちって一回もなくて、どんなに結果が出なくても……なんていうんですかね、使命感というか、「自分の人生の中で絶対に何か起こしてから死にたい」という気持ちがあったんです。ずっと売れなかったとしても、“売れない芸人”としてドキュメンタリー系の番組に出られるかもしれないとか、ちょっとしたプラス思考でなんとかやりくりしていました(笑)。
2023.05.26(金)
文=我妻 弘崇