しかし、そうした不安やもどかしさは心の正直な発露であって共感できる一方で、顔の見えない漠然とした「敵」を見つけたときに誹謗中傷に早変わりしてしまうこともあります。実際、コロナ禍では、ネガティブなコメントやソーシャルメディアでの攻撃的なやりとりも日常的に目にするようになりました。

 炎上案件に巻き込まれる当事者である場合にはもちろん、自分宛のものでなくとも、誹謗中傷に溢れたSNSやコメント欄を日常的に目にしていては、鬱々としてしまったり苛立ちを覚えたり、何かと心に悪影響があるものです。

 対面と違って匿名で発言できるバッファーのない空間であるからこそ、ある意味で本音むき出しの攻撃的な発言がなだれ込む。そのことは理解できても、でも、どうしてこんなに頻繁に「炎上」などという現象が生じるのか? どうして何かを推奨する派と忌避する派の分断の溝はここまで深いのか? そして、こうした分断は埋められないのだろうか? 自分自身に向けられた誹謗中傷や周囲の炎上を眺めながら、このような疑問を抱き、自問自答するようになりました。その結果、悲観的な気持ちになることもあるのですが、脳科学を研究する精神科医の立場からも、私は分断は乗り越えられるものだと希望を持っているのです。

“Them”と“Us”の色分け

 ワクチン啓発活動を通して、多くのワクチンを忌避する方々とお話しする機会がありました。そこで毎回気付かされたのが、科学的事実を提示してワクチンを推奨する私たちも、ワクチンに対して漠然とした不安を抱く方々も、自分と家族などの大切な人たちの健康を守りたいと思う気持ちは同じだということでした。

 ウイルスという見えない敵と戦うこと、重症化予防という可視化の難しいベネフィットを理解することの難しさ、薬害エイズ問題などの社会的に負のものとともに語られる医療の歴史の重み……。全てが複雑に融合して、漠然とした「怖い」という負のイメージが浮かぶ中で、ワクチン接種という大切な人を守る選択をすることは、想像以上に難しかったのだとわかります。

2023.05.19(金)