――相談された人はいましたか?

高橋 両親には相談しましたが、うちの両親は昔から𠮟咤激励型なので、何かあったときに、「よしよし、大丈夫?」と慰めてはくれない。

「それっ!マーサ!跳ね飛ばせ!頑張れ!負けるな!」って。ちょっと勤務が辛いとか、人間関係が辛いとかあったとしても、「頑張っているね」なんて言ってくれなくて。「頑張れ!負けるな!」と。「パパとママはこうやって乗り越えてきたんだ!!」みたいな励ましがすごかったです。

 ただ、入社して3年ぐらいのときに、本当に辛くて辞めようかなって思ったんです。

 そのときに父から、「何か壁にぶち当たった時に回避する癖がついてしまうと、今後、また悩みや壁にぶち当たったときも、ずっと回避し続ける人生になってしまうから、耐えなさい。それを乗り越える力をつけておきなさい」と言われて。それを耐えて今があるし、「大変ね、こんなに痩せちゃって、辞めましょう」というしつけをする親だったら今の私がないと思うのでありがたいなと思います。

 

 それに3年で辞めたら、「高橋英樹の娘って根性ないね。高橋英樹のしつけが悪かったのよ」って言われるなと。父の名前を汚してしまうと思って、踏みとどまったのもありますね。

――今のように、高橋さんの明るいキャラクターが引き立つようになってきたのはいつくらいでしょうか?

高橋 入社5年目くらいから「最初はコネだと思っていたけど、ニュース原稿を読ませたら結構上手いよね」とか。「バラエティーで、案外体張ってて面白いよね」と、だんだん周りが言ってくださるようになったんです。今まで「何、あの子」と言われていたのが、いい風に見てくださるようになってきて。

マツコ・デラックスや人気芸人たちが口々に言いはじめたこと

――なにか変化するようなきっかけがあったのでしょうか?

高橋 先ほどの父の「乗り越えなさい」という言葉の他にも「誰でもいい仕事こそ、一生懸命やりなさい。最初は誰でもいいと思って頼んだけれど、マーサに頼んで良かったねって。じゃあ、次のナレーションもマーサに頼もうか。次の新しい企画もマーサに頼んでみようってなるから」と言われて。はじめはそんなわけないよって思っていたんですけど、それでもコツコツコツコツ。やりたくない態度でやるのではなくて、一生懸命頑張るっていう態度でやっていたら、仕事が増えていった感じですね。

2023.05.10(水)
文=松永 怜
撮影=釜谷洋史/文藝春秋