――その後、フジテレビに内定が決まった時の反応はいかがでしたか?
高橋 もちろん家族はとても喜んでくれたんですけれど…。
当時は、インターネットが盛んになってきて、2ちゃんねるとか、掲示板が流行り出した時期でした。
アナウンサー就職掲示板を見ると、「フジテレビに高橋英樹の娘が内定したらしい」から始まって、「あんまり可愛くない」「親の七光りだよね」「絶対コネだ」「縁故に決まってる…!」といっぱい書かれてショックで。でも、学生の頃はまだ掲示板の範囲だったんです。
体重が37キロまで激減…想像もしていなかった新人時代
そこからいよいよ入社したら、今度は掲示板どころか、雑誌や週刊誌、全メディア、全インターネットと一気に広がりました。「コネ」だ、「ブサイク」などとものすごい勢いで書かれて、こんなに叩かれるのかと驚きました。会社でも私の存在を良く思ってない人もいましたし。
昨日までただの大学生だったのに、突然社会の荒波に放り込まれて、もまれにもまれすぎて、一時期はすごくメンタルが弱って、体調を崩した時期もありました。元々体重の変動がある方でしたが、大学時代、就活するときは52キロだったのが、フジテレビに内定が決まって掲示板で叩かれ始めてから45キロ、入社してから37キロまで痩せました。
――かなり体重の変動がありますが、お仕事の状況はいかがでしたか?
高橋 入社してしばらくは、なかなか仕事にも恵まれなくて。この日空いている女子アナなら、誰でもいいよという仕事ばっかり回ってくる。スタジオでナレーションのお仕事をしてもオンエアでは顔は映らないとか。報道のクルーと一緒に取材するけれど手しか映らない。そういう仕事を多くしていましたね。
――アナウンス室にいることが多かったのでしょうか?
高橋 はい、よくアナウンス室の電話取りをしていました。70人以上いるアナウンス室の名刺に、1個の電話番号しか書いてないんです。だから頻繫に電話が鳴る中、アナウンス室ではその部屋にいる一番年次が下の人がワンコールで電話を取らなくてはいけないルールがあって。当時は一人1台も無かったし、ワンコールで取れるように受電のボタンに手をかけたまま、調べ物をしたりしていました。
2023.05.10(水)
文=松永 怜
撮影=釜谷洋史/文藝春秋